『#22 千春~元祖女子高校生プロレスラーから団体代表へ~』女子プロレスマガジン リレーコラムSEASON2
その後はフリーになり女子格闘技に参戦したり、NEO女子プロレスに参戦したり…と、大好きなプロレスが出来る事に喜びを感じていたのですが… 2005年に自分の不注意により試合中に怪我をしてしまいました。 眼窩底骨折とその近辺をチラホラと… すぐ復帰するつもりでいたので、お医者様が「運動して良い」と言う前に、痛みが消えた時点でこっそり練習を再開してしまいました。 先輩には「軽くなら大丈夫ですー」とか言ってリング練習したり。 身分を隠して「極真空手」に行ったり… その結果、最初よりも酷い状態になってしまい、ドクターストップ、引退となってしまいました。未だに後遺症もあり、あの時焦って練習を再開した自分をぶん殴ってやりたいくらいです。 皆様、お医者様の言うことは聞きましょうね。 大好きなプロレスは出来なくなった… それでもプロレスに関わりたい、井上京子選手の近くにいたい! 私に何が出来る? ということで、リングアナウンサーの道に進むことを決意。 NEO女子プロレスのリングアナウンサー石田亜矢子さんに指導をしていただき、ボイストレーニングに通い、プロレスラー引退後4ヶ月でリングアナウンサーとして業界に復活しました。 元々滑舌は悪いので、原稿をいただいたらまず息子と2人でカラオケBOXに行き練習をしました。3時間も4時間も練習に付き合い、ひたすらアドバイスをくれた息子に感謝です。 という感じで、NEO女子プロレスのリングアナウンサーになったものの、まだまだ半人前リングアナウンサーの時点で、NEOが解散になり…決してネガティブな解散ではなく、素晴らしい大会で幕を閉じた訳ですが、リングアナウンサーとして中途半端な私はどうしよう…と、悩み落ち込みました。 その後2年間のフリーののち、アイスリボン所属のリングアナウンサーになることが出来ました。 当時のアイスリボンは皆キャリアが浅く、私に頼ってくれたり、相談してくれたり、甘えてくれたり、反抗期をぶつけて来てくれたり…それはそれは刺激的でした。 リングアナウンサーで所属になったのに、一発目の仕事がレフェリー。 何故よ!と、思いながらも、大好きなプロレス界で仕事が出来ることを幸せに感じました。 そんなこんなで、アイスリボン所属10年。 あっという間の10年。 私はアイスリボンを退団するという決意をしました。