なぜ「東シナ海の日中合意」は復活した? 安倍・習近平による外交の成果
2017年、まさかの復活
ところが奇跡が起こった。2017年11月、ベトナム・ダナンで行われた安倍総理と習近平国家主席の日中首脳会談において、「2008年合意」が蘇ったのである。 この日中首脳会談において、東シナ海を「平和・協力・友好の海」とすべく、引き続き意思疎通していくことで一致し、「2008年合意」を堅持し、同合意の実施の具体的進展を得るよう、引き続き共に協力していくことが申し合わされた。 習近平国家主席が「2008年合意」を再確認したことに私は驚きを禁じ得なかった。中国の保守派から日本に譲りすぎたとして批判があった「2008年合意」、しかも胡錦濤政権時代の合意であり、大国主義を前面に押し出す習近平政権がこの「2008年合意」を否定こそすれ、肯定することはないだろうと見るのが自然だった。 しかも、「明の時代から南シナ海は中国の海だった」としてフィリピンやベトナムなどの主張を退け、国際ルールを無視してきた政権である。その習近平政権が「2008年合意」を再確認したのだ。 この展開は驚きであり、安倍政権の大きな外交上の成果であった。習近平国家主席と安倍総理との関係はかつて、相当にギクシャクしたものであり、2014年、APEC首脳会議の際に短時間会談した時などは両者に一切笑顔が無く、国際的にも話題になったほどだった。その二人が2017年、笑顔で固く握手したのである。 この変化の背景には中国とアメリカ・トランプ政権との厳しい対立があり、日本を少しでも中国側に引き込もうとする思惑があったはずだが、同時に、安倍総理の力を再評価したことも大きかったのではないかと思われる。 続いて2018年、2019年と安倍・習近平会談が行われ、その都度、「2008年合意」の再確認が行われたのだった。 2020年には安倍総理の招待により、習近平国家主席の訪日が行われるはずだったが、新型コロナウイルス感染症の流行で訪日が延期されてしまった。このため、「2008年合意」に関して具体的進展は未だ見られていないが、「2008年合意」が再確認された事実は厳然として残ったままである。 ところで、この「2008年合意」の再確認について、日本国内での反応は皆無に等しい。中国では、日本に極めて有利な合意だとして強い反発があった合意である。 そうした合意が実現する可能性がめぐってきたにもかかわらず、日本での反応は皆無と言っていいほど乏しい。東シナ海について論議する学者や専門家の間からも、この「2008年合意」はスルーされてしまっている。 一体、これはどうしたことかと不思議でならない。日本政府の説明不足なのかと思い、2017年日中首脳会談に関する外務省の発表文を見ると、 ⃝安倍総理から、東シナ海の安定なくして日中関係の真の改善はない旨が述べられ、両首脳は、東シナ海を「平和・協力・友好の海」とすべく、引き続き意思疎通していくことで一致した。 ⃝両首脳は、防衛当局間の「海空連絡メカニズム」を早期に運用開始するため、協議を加速化していくことでも改めて一致した。また、東シナ海資源開発に関する「2008年合意」を堅持し、同合意の実施の具体的進展を得るよう、引き続き共に努力していくことで一致した。 と一応は「2008年合意」に言及しているが、この説明文だけでは、一体、この「2008年合意」の意味合いがどういったものなのか、判然としないのかもしれない。 2017年、ベトナムのダナンで開かれた日中首脳会談を伝える報道を見てみると、日本経済新聞は「安倍・習氏、初めての笑顔」の見出しの下で「日中関係改善の意思を確認」とあるだけであり、「2008年合意」への具体的な言及はなく、各紙も概ね同様の報道ぶりだった。 その一方で、東シナ海のガス田に関して、「中国、東シナ海ガス田で新たな試掘着手か」という見出しで「中国が東シナ海で一方的にガス田開発を行っている疑いがある」と大きく報じる記事もあった(2018年11月30日付産経新聞)。 この報道にあるガス田の開発は、東シナ海の中間線の西側にあるものであり、「2008年合意」においても対象としていない水域にあるガス田である。 メディアの報道ぶりというのは、問題があれば大きく報じるが、良いニュースはあまり報じないという傾向にあるのかもしれないが、こと、この「2008年合意」に関しては、いささかバランスを失していると言わざるをえない。
薮中三十二(元外務省事務次官)