なぜ「東シナ海の日中合意」は復活した? 安倍・習近平による外交の成果
中国漁船衝突事件による大打撃
ところが、この2008年東シナ海油ガス田共同開発合意(以下「2008年合意」)について横槍が入ってしまった。中国国内からのもので、「なぜ、日本にそんなに譲歩したのか?」とする対日強硬派からの批判であった。 このような批判を受けて、中国外交部は、「合意は確認する、しかし、その合意を条約に移し替える作業を少し待ってほしい」と伝えてきたのだった。私は、この動きにいささか不安を感じたが、やむをえず、中国側の国内調整を待つことにしたのだった。 そして2年の月日が流れたが、2010年9月、ようやく「2008年合意」について条約交渉が行われようとしていた時、尖閣諸島中国漁船衝突事件が起きてしまった。これは、2010年9月7日、尖閣諸島付近の海域をパトロールしていた海上保安庁巡視船に対し、中国漁船が衝突してきた事件だった。 その模様を生々しく伝える映像がYouTubeにアップロードされ、広く日本国民が見ることになったが、私は、この中国漁船衝突事件を見て、中国の保守派が「2008年合意」を潰しにきたなと感じたのだった。 この中国漁船衝突事件は、漁船の船長逮捕、船長逮捕に対する中国側の釈放要求、処分保留での船長釈放と続いたが、この間、日中間を巡る雰囲気が悪化し、「2008年合意」に関する条約交渉は吹っ飛んでしまったのだった。 この時、私は外務省を退官した直後だったが、「2008年合意」の条約化が達成できなかったことは残念でならなかった。 その後、日中関係は極めて厳しい時代を迎えていった。2012年、先述した通り、当時の野田政権が尖閣諸島の国有化をした時、中国側が猛反発し、反日デモが中国各地で繰り広げられる事態となった。 2013年には「中国大国の夢」を語る習近平体制が発足した。そして日本側の安倍総理との間では睨み合いが続き、「2008年合意」は露と消えたかと地団駄を踏む思いだった。