ゴルフの「障害者スポーツ」としての認知度自体がまだまだ低いと実感【50代の女子大生が学ぶゴルフとリハビリテーション】
私の日米障害者ゴルファーへのアンケート調査は「量的研究」と呼ばれるものである。どれだけ数を集められるかがキモ。Webアンケートを中心に郵送や手渡しも含めて頑張った。日本の皆さんのご協力に感謝しながら、アメリカからの反応が悪いことに日々気を揉んだ。やはり直接顔を見てお願いできるかどうかは重要なのだろうと思いながら、途中、女性障害者ゴルファーがとにかく少ないことが気になり始め、第二研究として、女性ゴルファーへのインタビュー調査を追加して行うことを決めた。これは「質的研究」と言われるものである。時間がないなかではあったが、このような立場で、このような調査研究を行う機会はもう二度とないかもしれないと考え、第二研究の倫理審査も追加して、頑張っていくことに決めたのだ。 私の日米障害者ゴルファーへのアンケート調査は「量的研究」と呼ばれるものである。どれだけ数を集められるかがキモ。Webアンケートを中心に郵送や手渡しも含めて頑張った。日本の皆さんのご協力に感謝しながら、アメリカからの反応が悪いことに日々気を揉んだ。やはり直接顔を見てお願いできるかどうかは重要なのだろうと思いながら、途中、女性障害者ゴルファーがとにかく少ないことが気になり始め、第二研究として、女性ゴルファーへのインタビュー調査を追加して行うことを決めた。これは「質的研究」と言われるものである。時間がないなかではあったが、このような立場で、このような調査研究を行う機会はもう二度とないかもしれないと考え、第二研究の倫理審査も追加して、頑張っていくことに決めたのだ。 こうして私が進めた研究は、「身体障害者がゴルフを継続する要因を探る~日米競技ゴルファーと日本の女性ゴルファーの実態調査から~」。内容詳細は、倫理的なこともあり控えるが、準備、調査以上に、分析、執筆で怒涛の年末年始を過ごすことになってしまった。
まず、自分の”ギリギリ人間“ぶりが浮き彫りに。夏休みの宿題もテスト勉強も、残り1週間を切ってからが勝負と言わんばかりの詰込み行動をしてきた自分が情けない。この性質が長年週刊誌編集に携わり助長されている。また、まとめる際に、ただ結果を述べるのではなく、先行研究をもとに論じることが必要なのだが、長年染みついたクセみたいなものは恐ろしい。”読ませる“ことを意識して、何となく感情的な構成や表現も使ってしまう。 極めつけは、デジタルソフト使用の未熟ぶり。ワードの使い方さえ、わかっているようでわかっていない。改めてインターネットで使い方を探しながら文書を作成し、最終的には知人やゼミ同期の皆さんの力を借りて、提出文書を整える羽目に(いや、トホホ……なのは、付き合わされた皆さんです)。そして、提出締め切りの15分前に提出したのだった――。 昔は、今のようなweb上の提出ではなく、紙にプリントアウトして大学の窓口に直接提出する形だったそうで……いろいろなドラマがあったらしい。最後の数日は大学に(勝手に)泊まり込んで執筆したり、電車が止まったり、プリントが上手くいかず、担当教授が事務局と提出延長の交渉をしてくれたり(そのため、提出日は指導教諭が校内に待機していたそうです)、ドタバタ劇は聞くぶんには面白い。でも、当人はきっと、生きた心地もしなかったはず。パソコンの前で、一人ドタバタ劇を演じていた私にはよーくわかる。15分前に提出した私は、今回、一番最後だったのだろうか。 そのうち誰かに聞いてみたいと思う。 さて、何とか提出はしたものの、最終発表という大仕事が待っている。聞くところによると、修士論文の最終発表(口頭試験)は、自分ひとりと先生たちが1~3人で個別に行うことが多いらしいが、私たちは同じ学科の1、2年生全員の前での7分間の発表と、それに対する先生方との質疑応答、という形式。皆の前での発表は、恥ずかしい部分もあるけれど、全体の制限時間もあるし、先生方も詰問はしないはず……と密かに祈りながら、2年間の集大成として、自分が今回の研究で得たこと、伝えたいことを発表しよう、と意気込んだ。 ところで、私たちのゼミは2週間に1度オンラインで行われる。筑波大学本体の学生さんたちとも一緒にゼミを行うのであるが、皆さんとても積極的で優秀で、いつもとても勉強になってきた。最終発表の前にも、ゼミで予行演習を行ったが、私はなんと約20分もかかってしまった。ここから内容を精査し、時間内に終わるよう何度もひとりで練習し、いよいよ最終発表当日を迎えた――。
週刊ゴルフダイジェスト