芸人の鳥居みゆきが、「自分が自分じゃないかも」って疑いたくなるときに観る映画。
毎回、1人のゲストがオリジナリティ溢れる視点を通して、好きな映画について語り明かす連載企画「今日はこんな映画を観ようかな。」。今回のゲストは、芸人の鳥居みゆきさん。鳥居さんらしい独自の視点で、「自分が自分じゃないかも」って疑いたくなるときに観る映画について語ってくれた。 今日はこんな映画を観ようかな。Vol.6
私、記憶がなくなるんですよね、すぐ。記憶がなくなるというより、なんか違う時間を埋められてたんじゃないかって感じなんですけど。 私、「オリンピック」っていうスーパーによく行くんですけど、毎回ちょっと涙が出るんですよ。なんでかなと思ったら、「オリンピック」の歌って歌詞がめちゃくちゃいいんですよ。「オリンピック」へ行こうっていう明るい歌なんですけど、途中から「僕だって挫けそうな時もあるさ~」ってすごくしみじみしてきて。たぶん私は、意識してないところでその歌詞を聴いていて、それで泣いているんだと思うんですよ。そういう気持ち、わかりますか? だから、『マリグナント 狂暴な悪夢』にはすごく共感しちゃうんです。主人公の背中にガブリエルっていう意識を持った悪性腫瘍があって、主人公が寝ている間に人を殺したりするって話なんですけど、私の中にももしかしたら別の何かが……多重人格とかじゃなくて、自分の中に何か埋め込まれているかもしれない、それが私が記憶をなくしている間に動いているのかもしれない。 だって私、人差し指の側面の皮膚がガビガビなんですよ。なんでガビガビかっていうと、イライラして噛んじゃうから。でも、それは無意識なんですよ。それでもう2度と噛まないように、わさびを塗るじゃないですか。そしたら、すごい染みて痛かったんですけど、それすら忘れて、気づくと噛んでるんですよ。結局、私はわさびが大好きになって、「オリンピック」にわさびを買いに行くんですけど。でも、イライラして噛んじゃう自分も、わさびを塗っていることを忘れて噛んじゃう自分も、自分なんですよ。『マリグナント』には、そういう「自分が自分じゃないかも」「自分は1人じゃないかも」って不安が描かれているんです。 私、趣味を聞かれたときも、よく「自分が自分じゃないかも」って感情に陥るんですよ。だって、言える趣味と言えない趣味があるじゃないですか。私の場合、利きティッシュとか、特殊メイクとか、言える中でギリギリのものを出すことにしていて、それは嘘ではないんですけど、本当の自分はもっとグロいものが好きなんですよ。でも、それは誰にも言えないし、言わない。ヤン・シュヴァンクマイエルの『悦楽共犯者』は、パンを小さく千切って丸めるとか狂った趣味に没頭する6人の男女を描いた、”男女6人自慰物語”って感じの映画なんですけど、この人たちは世間体を気にせず、突き進んでいる。だから、自分が自分であることを肯定するために観るんです、『悦楽共犯者』は。 そういう自分を突き通す感じは、ヤン・シュヴァンクマイエルの食事シーンの描かれ方にも表れています。まったく美味しそうに見えないんですよ。まるで食べ物に対して恨みがあるかのように、美しく見えないように撮っている。それが逆に美しいですよね。だって、自分をすごく出せているから。真っ当だし、素直だと思います。そこも共感するっていうか、見習いたいなって思います。 「自分が自分じゃないかも」っていう不安は、突き詰めると死にたい死にたくないって話になってくると思うんですよ。私、よく死にたいと思うんですけど、同時に、そう思っているときほど生きていることをすごく実感するんですよ。この同居ってなんだろうなと思うんですけど、アッバス・キアロスタミの『桜桃の味』はそんな死に対する思いが詰め込まれた映画で、素晴らしい。主人公は車で街を走りながら、乗せてあげた人たちに「金をやるから、明日の朝、ある丘に掘った穴に寝ている自分を起こしてほしい。起きなかったら土をかけて埋めてほしい」って自殺の手伝いを頼むんですよ。だけど、なぜ死にたいのかも、なぜそんな死に方にこだわるのかも、一切説明されない。そんなこと自分の中でわかってりゃいいんだよってことだと思うんですけど、そのこだわりがかっこいいんですよね。 あと、ほとんどが車の中のシーンで、乗っている人のワンショットが多いんですけど、すごく撮り方が変なんですよ。向き合っている相手の目線ってわけでもなく、だからと言って神目線ってわけでもなく、物語には登場しない第三者の目線というか。だから、映っている人たちに感情に入り込めないんですけど、それが逆にいいんですよね。ラストも急に撮影現場のメイキングオフみたいになって、「入り込んだとて所詮映画だぞ!」と裏切られてほったらかしにされる感じも含めて、『桜桃の味』は面白くて優しい映画なんですよ。