樋口恵子 高齢者が葬儀に行くために体調を崩したり、亡くなったり…無理して参列するより家から感謝を伝える【葬式定年】のススメ
◆「調理にも定年があっていい」に多くの反響が 「葬式定年」という言葉を思いついたのは、以前「調理定年」を提唱したところけっこう共感いただけたからです。 きっかけは確か82歳の頃、学生時代の友人からの年賀状でした。良妻賢母の鑑みたいな方だったのに、「この頃、歳のせいかあんなに好きだったお料理が億劫になって、ときどきサボッています」と書いてあったのです。 それから2、3年のうちに、同じような一筆が書かれた年賀状が何通も届くようになりました。なかには、「夫はまだ通勤して働いております。満員電車に揺られている夫のことを思うと、ここで料理に悲鳴を上げてはいけないと、身体に鞭打って料理を作っております」などという悲壮な覚悟の方もいました。 かつては、80代半ばになってまで毎日料理をするケースはそうそうなかったのではないでしょうか。そこまで生きる方もそう多くはなかったでしょうし、昔は三世代同居で、お嫁さんが「お義母さん、ご飯ですよ」などと用意してくれたものです。お嫁さんのご苦労も、大変だったと思います。 ところが人生100年時代を迎え、家族形態も変わり、高齢者だけの世帯や高齢の一人世帯も増えてきました。そのため80を過ぎても、まだ家事から解放されません。 たとえ主婦としてがんばってこられた方でも、80半ばを超えて毎日料理をするのは、難行苦行です。勤め人の夫には定年があるのだから、妻も「調理定年」があってもよいではないか。いくらか高くつくかもしれないけれど、既製品のお惣菜を組み合わせるなど、手抜き上等――と提案したところ、「よく言ってくださった」などと、思わぬ反響を呼びました。
◆自分にとって快適な範囲で食べる かくいう私も、以前は料理が嫌いではありませんでした。とくに中華料理が得意で、酢豚なんて、ちょっと自慢したいくらい。ところが80を超えた頃から料理が億劫になり、適当な食事ですませていたところ、低栄養で貧血になってしまいました。 それからは、週に2回来ていただいているシルバー人材センターの方にお惣菜を作り置きしてもらったり、娘にお惣菜や冷凍食品を買ってきてもらったり。冷蔵庫を開けると何かしら入っているので、助かっています。 ちなみに朝起きるのは9時頃。ヨタヘロしながらゆっくり身支度を整え、リビングルームで牛乳をコップ1杯飲みながら新聞を3紙読んでいるうちに、あっという間に昼近くになってしまいます。そこで朝昼兼用の食事をとり、夕食は仕事がなければ6時頃。 1日3食が健康維持の基本とおっしゃる方もおり、それももっともだと思います。ただ、何をするにも時間がかかるヨタヘロ期ともなると、1日に3回食事をして後片付けをしていると、それだけで1日の半分くらいを費やしてしまう気がします。 105歳まで長生きし、晩年まで仕事をなさっていた医師の日野原重明先生が「朝はオリーブオイルと牛乳、昼はクッキーと牛乳、ちゃんとした食事は夕食だけ」とおっしゃったことで、ほっとした方も多いと思います。私もその一人。そのかわり2食で栄養のバランスをとるように気を配り、とくにお肉や魚、卵などの動物性たんぱく質は心して食べるようにしています。 人生100年時代。まだ先は長いと思います。みなさんも無理はせず、「調理定年」と「葬式定年」を取り入れてみてはいかがでしょう。 (構成=篠藤ゆり)
樋口恵子
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