12月27日の預金残高20万円、社員14名…絶体絶命の起業8年目の年の瀬、6歳娘の言葉に父は涙が止まらなかった
■日本中で謝り続ける日々で、メンタルダウン寸前 明けて、2020年の正月、さすがの瀬川もメンタルダウン寸前の状態にあった。 「たぶん、鬱状態だったと思うんですが、この時期は自分が自分でないような感覚に付きまとわれていました」 契約してくれた企業にver.2の開発が遅れていることを説明するため、瀬川は全国を行脚する旅を続けていた。ひたすらな謝罪の旅である。 「朝は静岡の会社で謝って、夜は佐賀の会社で謝っているみたいな。相手によっては、そりゃ、烈火のごとく怒る人もいますよ。どんだけ待たせんねんって。それでも僕にできるのは謝ることだけなんです。やがて、そういう自分の姿を俯瞰で見ているような感覚に襲われるようになったんです。あいつ、また謝ってんなって」 離人症のような症状だが、おそらくそうやって自身の姿を他人事のように捉えることでしか、精神を維持することができなかったのだろう。 ■6歳娘の言葉に父は涙が止まらなかった 宮本が言う。 「あの時期の瀬川は朝から何回も、絶対に勝つ、絶対に勝つって言い続けていました」 それだけ追い詰められていたのだろうが、そんな瀬川を支えたのは意外にも、幼い長女の言葉だった。瀬川が言う。 「2020年のお正月は、本当にお金がなくて、子どもをどこにも連れていくことができなかったんです。でも、お金がないからとは言えないので、パパ、忙しくてお正月なのにどこにも連れていけなくてごめんなと娘に言ったんです。そうしたら6歳の娘が、パパめっちゃがんばってるから、ええやん、大丈夫やでって……。あの時は、涙が止まりませんでした」 瀬川が約2年間に及ぶお詫び行脚から解放されたのは、2020年4月のことである。大手の企業の大容量データでも高速で処理できるソフトウエアが完成したのである。正確に言えば、会社の規模によってはサクサクと動くver.2をローンチした直後に、即ver.3の開発を開始し、そのver.3が完成したのが2020年4月であった。 「この間、VCから1億円規模の資金調達を2回していますが、なにしろ一般の企業が使っているようなデータベースのミドルウエアでは動かないんで、データベースのソフトウエアをゼロから自分たちで作るぐらいの大変な作業でした。開発というよりも、ほとんど研究に近いレベルだったと思います。トラブルでやめてしまったエンジニアもいましたが、ver.3が完成した時は、あらゆる重荷が取れた気がして、残ってくれたエンジニアと祝杯をあげました。本当に、他社には絶対真似のできないものが出来たと」