【プレイバック’94】まだ早い時間の繁華街に20人以上が…錦糸町・中南米系「夜の女たち」密着ルポ
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は30年前の1994年10月14日号掲載の『ただいま急増中 合宿所から〝通勤〟する東京・錦糸町 中南米系「夜の女」に密着』を紹介する。 【オニイサン、アソビ】すごい…道行く車にも1台ずつ声をかける中南米系「夜の女」 新宿・大久保公園界隈に立つ「交縁女子」たちの姿が多くのメディアで報じられたことで〝立ちんぼ〟と呼ばれる街娼はすっかりメジャーな存在となってしまった。これらの〝立ちんぼ〟は今でこそ日本人が主流だが、かつてはほとんどが外国人だった。夜の街に立つ彼女たちに「密着」した記事だ(以下《 》内の記述は過去記事より引用)。 ◆派手めの女性たち20人以上が〝客待ち〟 1994年当時、本誌記者が訪れたのは東京・墨田区の錦糸町駅南口。ここのネオン街に7~8人1組で行動する中南米系の「夜の女」が急増しているという情報を聞きつけてのことだった。 《まだ早い時間に繁華街を軽く歩いてみたが、すでにざっと20人ほどの女性たちの姿があった。停めてある車にもたれかかったり、ガードレールに腰をかけ、仲間と喋りながら客を待つ彼女たちは実に堂々としている。 金髪や褐色の髪を肩に下ろし、派手なアクセサリーを身につけた彼女たちは、ただでさえ彫りの深い目鼻立ちなのに、さらに濃いめの化粧で街に立つ。ファッションもぴっちりしたジーパンに胸の大きくあいたジャケットだったり、白のミニに黒のタンクトップと、いやでも目に付くいでたちだ。》 ◆道行く男性の肩に手を置いて…… 取材当時、本誌記者が見た彼女たちの〝営業〟ぶりは実に熱心だった。道行く男性に歩調を合わせ、肩に手を置くなどしてしなをつくる。酔ったサラリーマンの下手な英語にも愛想よく応対し、車が通りかかれば手を振って愛嬌を振りまき、停車させて窓越しに話しかける。このようにして〝商談〟が成立すれば、近くのホテルへ直行だ。 1人、2人で街角に立つ女性もいたが、ほとんどが仲間と一緒に客を待っていた。線路沿いの道を少し入った公園でも数人の女性が立っていた。 《「ニマンエン~、アソバナイ?」。静かな声で客を引く。 「2時間で2万円?」と聞き返すと、「チガウ、イチジカン、ニマンエン~」 と怪しげな日本語で答える。 「高い、高い」と、中年の酔っぱらいが あしらうと、「タカクナイヨー」と言って腕に手を回して誘う。 後で〝客〟の1人に彼女たちのテクニックを取材してみると、「いや、とても1時間なんて持たなかった。酔ってようがなんだろうがアッというまに絞られる」と、不満そうな表情だった。〝商談〟さえ成立すれば、後は情緒抜きというのが〝接客〟のポリシーのようだ。彼女たちはだいたい1日に3~4人の客を相手にするという。》 客の姿が途絶えるとコンビニで仲間たちと談笑する女性たちもいた。空がほんのりと明るくなって、さらに人通りが少なくなった頃、彼女たちは家路につく。ヤクザ風の男が運転するワンボックスカーに乗り込む女たちもいるが、駅で始発電車を待つ女たちもいた。 この頃は午前4時48分始発だった上り電車に乗り、途中御茶ノ水で乗り換えて高円寺に着いたのは5時23分だった。稼ぎの良かった日にはタクシーで合宿生活を送るマンションへと戻ることもある。バブル崩壊直後の’90年代初頭とはいえ、彼女たちにとって日本は稼げる国だったのだろう。 ◆「金髪需要」で連れて来られた中南米系女性たち ’80年代から増えた外国人女性による日本への「出稼ぎ」。彼女たちはかつて、日本から海外に出稼ぎに行った「からゆきさん」をもじって「じゃぱゆきさん」と呼ばれた。彼女たちはフィリピンやタイなどのアジア系が主流で、飲食店や風俗店などで働いたが、中には街角に立つ女性もいた。新大久保、池袋西口、錦糸町、横浜・伊勢佐木町など、当時の〝立ちんぼスポット〟に立つのはほとんど彼女たち外国人女性だった。 アジア人がほとんどだった「じゃぱゆきさん」の勢力図の中に’90年ごろから一時期中南米系の女性が急増した時期があった。彼女たちはコロンビア、ベネズエラ、チリなどからブローカーによって連れて来られた女性たちだった。この当時、「じゃぱゆきさん」を母国から連れて来るのはブローカーの役割だったが、金髪の外国人女性の需要が多かったことから、彼らが安く金髪女性を連れて来られる中南米ルートを開拓したのだといわれている。 女性たちはブローカーから入国費用の名目で高額な債務を負わされることも少なくなく、やがて国際的に「人身売買」だという批判にもさらされるようになった。取り締まりが厳しくなったことで、’90年代後半には中南米系の女性たちはほとんど姿を消したようだ。 現在では海外へ出稼ぎに行くのも、街角に立つのも日本人女性が主流だ。30年という月日は景色を180度変えてしまったのだ。
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