来日25年、日本語はたどたどしいけれど 73歳がサックス吹くわけ
よく晴れた日の朝、京都府京田辺市の堀葉子さん(73)は、赤い自転車をこいで府営住宅を出る。5分のところにある木津川の堤防でサックスを吹く。管体が秋の日にきらきらとひかり、音は風に乗ってとんでいく。 店頭で見かけたサックスにほれて買った。「七十の手習い」だ。演歌の「北国の春」をおはことし、「酔歌」も気に入っている。中国ウイグル族の民謡もさまになってきた。 堤上のあずまや広場での朝練は、週に3日のことも5日のこともある。午前7時から2時間の完全独学だ。吹いていると、かなしいこともうれしいこともどこかに消えて、こころが空に羽ばたいていく。 ふるさとは中国の吉林省にある。中国名は王振芝。12人きょうだいの3番目というから、にぎやかな家だった。 夫は中国残留孤児だった。日本が戦争に負けたときは3歳で、開拓民の母もシベリアに行った父もどこで死んだのかわからない人だった。 堀さんは25年まえに日本に来た。数年たって夫は死んだ。肺がんで61歳だった。 夫は、さみしいとよく言っていた。日本語はわからないし、ともだちもいなかった。中国に帰りたがっていたので骨は吉林省の墓におさめた。 来日から四半世紀になるのに、堀さんの日本語はたどたどしい。ボランティアの日本語読み書き教室に毎週かよっているけれど、身ぶり手ぶりがある対面はどうにかなっても、電話だと日常会話もたよりない。団地の部屋はひとりだし、外で話すこともすくないから習ってもすぐに忘れてしまうのだそうだ。 いまの生活を、たのしいことをさがしているからさみしくないと言う。これからのことは考えないようにしている、死んだら骨は川にでもまいてほしいね、なんでもいいよと言ったとき、堀さんの目は真っ赤になった。あふれそうな涙を、むりやり笑顔をつくってごまかした。 だから私はいろいろなことをサックスと話します、いいことも悪いこともサックスに乗せます、これは私のいちばん好きですと言って堀さんはサックスを抱きしめた。(下地毅)
朝日新聞社