中村橋之助、新春浅草歌舞伎で座頭に 尾上松也と中村米吉から託されたバトンに「体当たりで勤める」
浅草再登場の中村鶴松 中村勘九郎&七之助から「死ぬ気でやってこい」
歌舞伎俳優の中村橋之助、中村莟玉(かんぎょく)、中村鷹之資、中村玉太郎、市川染五郎、尾上左近、中村鶴松が11日、都内で行われた『新春浅草歌舞伎』の記者会見に出席した。 【写真】「圧倒的なオーラ」「歌舞伎界1のイケメン!」の声…松本幸四郎&市川染五郎の親子ショット 新春浅草歌舞伎は浅草のお正月の風物詩として、40年以上の歴史を誇る公演。江戸時代の浅草では、現在の浅草公会堂がある場所からほど近い猿若町に『江戸三座』が開場し、明治から昭和にかけて浅草のショービジネスの中心地としてにぎわっていた。1980年のお正月に浅草公会堂で『初春花形歌舞伎』として歌舞伎興行が復活。2003年には新春浅草歌舞伎と名称を変え、“若手歌舞伎俳優の登竜門”として続いてきた。 24年1月まで尾上松也を座頭に公演してきたが、25年1月からは世代交代。これまで松也と共に出演してきた橋之助と莟玉を筆頭に、染五郎や鷹之資、玉太郎、左近ら新春浅草歌舞伎初参加メンバーも加わる。橋之助は今回初めて座頭を勤める。今回は、「本能寺の変」の明智光秀側の物語を描き通称“十段目”と呼ばれる『絵本太功記 尼ヶ崎閑居の場』を、第1部と第2部で配役を変えて上演する。 橋之助は「一番上の立場として、座頭という立場を初めて勤めます」と語り、「僕1人が座頭ということではなく、ここにいる7人全員が座頭で、全員同じ思いを持って、同じ方向をむいて熱く走り抜けられる、一致団結する。そんな思いを持って舞台を勤め、お客さまの明日の活力となれるようなパワーあふれる公演にしたいです」と意気込んだ。 また懐から緑色のバトンを取り出すと、「これは、松也お兄さんの前の世代、(中村)勘九郎(※当時は勘太郎)と七之助のお兄さんや、(市川)猿之助のお兄さん(※当時は亀治郎)がお出になっていた世代から、松也兄さんたちの代にバトンが渡されて、今年の新春浅草歌舞伎の千秋楽に、(中村)米吉のお兄さんから僕と莟玉くんに託されたバトンです」と説明。「このバトンに誓って、このバトンをもっともっと大きい、重いバトンにできるよう、僕たちの代も一生懸命に勤めていきたい。体当たりで勤める覚悟です」と決意を語った。 橋之助とともに一座を引っ張っていくことになる莟玉は、13年の高校1年生の頃から新春浅草歌舞伎のメンバー。25年で10回目の出演となる。これまで新春浅草歌舞伎の会見では先輩たちが前列に座ってきたが、今回は自身が最前列に。「松也兄さんをはじめ、『先輩がいるのが当たり前』の感じで過ごしてきたので、今、(会見の場で)前列がガラッと空いている感じが、『あぁ……そうか。いよいよ自分たちの番が来たんだな』と。わくわくもありつつ、まだ不安なこともありつつ」と、率直な気持ちを吐露。 「浅草公会堂は楽屋が非常に楽しく、みんなで過ごしてきた場所です。舞台はもちろん一生懸命やるし、楽屋では楽しく過ごすというメリハリが、先輩たちが作ってきてくれたチームワークにつながっています。その感じはなんとか引き継いで、がんばりたい」と語った。 過去に新春浅草歌舞伎の出演経験があり、勘九郎や七之助のもとで浅草に縁のある『平成中村座』にも出演している鶴松は、「6歳で『平成中村座』に出てから、ずっとお世話になっている土地です」と、なじみの場所での公演に喜んだ。新春浅草歌舞伎への再出演や配役については、勘九郎と七之助から直接伝えられたという。鶴松は第二部の『絵本太功記』で武智光秀の息子・武智十次郎を演じる。 「巡業公演中だったのですが、のんきに散歩して帰ってきたら、勘九郎と七之助の兄が『早く来いよ!』『大変だよ!』『あなた、浅草で、太閤記十段目で十次郎をやらせてもらうんだよ!』って。僕よりもうれしそうで、2人から叱咤激励されました。『死ぬ気でやってこい』とメッセージをくれました」と明かした。
ENCOUNT編集部