ヒトラーの砦跡から手足のない5体の人骨を発見、古代ゲルマン的な生贄の可能性も
5体は一列に埋葬されていた
今回、人骨を発見したのは、ポーランドの「ラテブラ財団」のメンバーであるグダニスクの技術者アドリアン・コストジェバ氏だ。ラテブラ財団はポーランドの激動の歴史のさまざまな時代の考古学的遺物の発掘を専門とする団体で、今から30年前に設立された。 現在は森林公園になっているヴォルフスシャンツェの管理者と政府関係者の許可を得て、ラテブラ財団は5年以上前から週末に発掘調査を行っている。コストジェバ氏らは、ヒトラーの地下壕のそばにあるゲーリングの住居跡を発掘していて、釘や建築資材と一緒に配管パイプのようなものを見つけたが、それが人間の頭蓋骨だった。 発掘チームは警察に通報し、警察は同じ場所からさらに1人のティーンエイジャーと1人の新生児を含む4人分の遺骨を発見した。5人の遺骨は一列に埋葬されていたという。 この地域を管轄するワルミアン・マスール県警察の発表によると、発見された人骨はケントシンの警察官と検死官によって調べられた。検死官によれば、人骨の古さを見ると1918年から1939年の間に埋葬されたと考えられるが、状態が悪く、死因は特定できないという。そのため警察は犯罪が行われたと考える理由がなくなったとし、捜査を打ち切った。
異教の生贄か、強制労働者か、一般の犠牲者か
捜査の終結により、コストジェバ氏らは晴れて自分たちの発見について話せるようになった。まず、同財団の30人のボランティアがこれまでに発掘したものは制服のボタンや工具や機械の部品などのこまごましたものが多く、人骨を見つけたのは今回が初めてだという。 また、人骨が見つかった状況には不可思議な点がいくつかあった。 人骨は地表からわずか10cmほどの深さの地中に埋められていて、1940年代に建てられたゲーリング邸の配管パイプのすぐそばにあった。つまり、警察の発表どおり人骨が1939年までに埋葬されたとすれば、ゲーリング邸を建てていた作業員はこれらの人骨を目にしていたのに、そのまま作業を進めたことになる。 ほかにも、どの遺骨にも衣服の痕跡がないことや、1体には足の指の骨が数個だけ残っていたものの、それ以外の遺体には手と足の骨がまったくないなどの奇妙な点があった。衣服や手と足の骨は、遺体のほかの部分よりも早く腐敗した可能性があるが、5体ともこのような形で発見された理由は説明できず、コストジェバ氏は首をひねっている。 ラテブラ財団は、遺骨のサンプルを採取して放射性炭素年代測定を依頼することを考えている。この手法なら、埋葬時期を数年の誤差で特定できるはずだ。同財団は、それ以外の方法でも遺骨の身元の特定に挑みたいとしている。 それまでは、ヴォルフスシャンツェのゲーリング邸の地下に人骨が埋葬されていた理由は想像するしかない。 一部の新聞は、人骨は生贄だったのではないかと推測している。親衛隊のトップだったハインリヒ・ヒムラーをはじめ、ナチスの指導者の中には、古代ゲルマンの異教的な思想に耽溺する者が多かったからだ。 コストジェバ氏によると、警察の捜査中に、ベレムナイトという矢状の石が遺体のそばからいくつか発見されたという。べレムナイトは、古代ギリシャ時代から雷が地面に落ちたときにできると信じられてきた石で、幸運のお守りとして異教徒の埋葬品とされることもあった。 とはいえベレムナイトの正体は先史時代のイカの化石で、この地域でも自然に産出する。コストジェバ氏は、異教の信仰やその他の儀式的慣習を示す証拠は、べレムナイト以外には何もないと言う。 5人はどんな関係にあったのだろうか? コストジェバ氏は、5体の人骨が新生児から高齢者まで幅広い年代にわたっていることから、彼らは1つの家族だったのではないかと考えている。 ポーランド国立アカデミー政治研究所の戦史学者のパベウ・マフツェビッチ氏は、今回の発見には関与していないが、人骨はヴォルフスシャンツェを建設するために強制動員された労働者のものか、1944年にソ連軍がヴォルフスシャンツェを制圧した後にソ連兵に殺された市民のもの、あるいは第二次世界大戦後に何らかの暴力の犠牲となった人々のものかもしれないと推測している。 同政治研究所の歴史学者で、この地域の専門家であるロバート・トラバ氏も、今回の発見には関与していないが、ヴォルフスシャンツェ遺構では専門的な研究はほとんど行われていないため、いまだに新たな発見があるのは意外ではないと言う。 トラバ氏は、5体の人骨はヴォルフスシャンツェの物語に新たな謎を付け加えるものだと言う。「ここにはまだ多くの謎と問題が隠されているのです」
文=Tom Metcalfe/訳=三枝小夜子