江戸時代にも2人の女性天皇が存在した…徳川家と織田家の血を引く「女帝」が860年ぶりに誕生したワケ
■あくまで「中継ぎ」だった女性天皇 なお明正天皇は、後水尾上皇に皇子が生まれるまでの中継ぎとされ、即位から4年後、父の後水尾が水公卿・園基任の娘光子との間に紹仁親王をもうけると、寛永20年(1643)に紹仁に譲位した(後光明天皇)。 明正天皇は7歳で即位し、21歳で退位したので、朝廷で政治力を持つことはできず、上皇として院政をしいていた後水尾が権力を握っていた。ちなみに退位後、明正上皇は独身のまま74歳まで生きた。 明正天皇とは異なり、後桜町天皇は余儀なく即位せざるを得なくなった女性皇族である。 四代にわたって20代~30代半ばで崩御する天皇が続き、異母弟の桃園天皇も在位中にわずか22歳で死んでしまった。桃園天皇の長男の英仁親王はまだ5歳だった。 せめて10歳にならないと、天皇の役目は務まらないと判断した関白の近衛内前は、幕府と相談したうえで、桃園天皇の姉にあたる23歳の緋宮を即位させたのである。 約120年ぶりの女帝である。ただ、9年後に英仁親王が成長すると譲位している(後桃園天皇)。このように江戸時代の女帝は、あくまで中継ぎだったことがわかるだろう。 ---------- 河合 敦(かわい・あつし) 歴史作家 1965年生まれ。東京都出身。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。著書に、『逆転した日本史』『禁断の江戸史』『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』(扶桑社新書)、『渋沢栄一と岩崎弥太郎』(幻冬舎新書)、『絵画と写真で掘り起こす「オトナの日本史講座」』(祥伝社)、『最強の教訓! 日本史』(PHP文庫)、『最新の日本史』(青春新書)、『窮鼠の一矢』(新泉社)など多数 ----------
歴史作家 河合 敦