いったん忘れられた遊牧文化、中国上層部に見せるイベントだけでは救えない
日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。 ----------
モンゴルといえば夏に行われるナーダムが有名だ。ナーダムは、もともとシャーマンによる儀式が起源で、オボー祭りと強い関連性があった祭典だったと考えられている(【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第3回)。モンゴル帝国時代には、軍事訓練の色合いが強くなり、相撲、競馬と弓射などが行われてきた。 文化大革命等の影響で伝統的な行事が禁止された歴史があり、ナーダムは長い間中断されていた。しかし2000年以降は、観光ビジネスや少数民族による地域文化復興の活動などで、数と規模がどんどん増えた。本来ナーダムは、夏から秋の短い期間に行われることが一般的だ。しかし現在は、伝統文化や観光ビジネスのため、冬もナーダムを行うことが多くなっている。
私は、いま内モンゴルで起きていることは全て時代の流れと、受け止めるように心がけている。しかし、遊牧文化の衰退は、政治的、民族的、そして個人的、いろいろな原因が絡み合っている。この問題を解決することは簡単ではない。 ラクダや馬に関する祭りは、ある意味その象徴と言える。祭りを通して、若い世代に沢山貴重な体験をさせ、自分たちの文化を再認識する機会を与えていることは言うまでもないことだ。 しかし、すでにいったん破壊して忘れ去られてしまっている文化は、このようなイベントだけでは救えないと思っている。またそのイベント自体が、地方官僚が自分たちの実績として、上層部に見せるための政治的パフォーマンスになっているとも言われている。 そうした意味で、ハワイやブラジルの先住民のようになってしまったとも思っている。真のモンゴル遊牧文化と異なる部分が多いと感じるからだ。 だからこの冬のナーダム取材以後、私はほとんどナーダムの取材には行かず、草原の奥に住む遊牧民を訪ねて、彼らと一緒に生活しながら取材するようにした。その方が、彼らの本当の姿が見られるのである。 ※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第8回」の一部を抜粋しました。
---------- アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA) 1977年 内モンゴル生まれ 2001年 来日 2013年 日本写真芸術専門学校卒業 国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。 主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。