写真で振り返る戦前の北方領土 本当にそっくり 択捉富士の雄姿
終戦から71年経過しましたが、いまだに解決していないのが、不法占拠されたままとなっている北方領土の問題です。終戦直後の1945(昭和20)年8月28日から同9月5日にかけて、旧ソ連軍の侵攻により、北方4島が占領されました。北方領土で暮らしていた人たちは、その後自力脱出したり、残された人たちは、旧ソ連兵とその家族らとの混住生活を強いられた後、1947~48(昭和22~23)年にかけて、強制的に島を追われ、樺太を経由して日本本土へ送還させられます。 島で撮影された写真の大半は旧ソ連に没収されました。しかし、元島民でつくる千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)は自力で脱出できた島民が命がけで持ち出した写真を中心に約560点を収集。古くなり、劣化したものも多くなってきたことから、平成24年度デジタル化して保存する作業を行いました。千島連盟は「集まった写真は人物を写したものが多いですが、背景などから、島の当時の様子を知る大切な資料と考え、大切に保存しています」と話します。人々の表情や景色、風習…。一枚一枚の写真に、元島民が生き生きと暮らしていた証があります。 今回、千島連盟から提供を受けたそれらの貴重な写真の中から、択捉島の風景を紹介します。
択捉島は国後島の北東にあり、千島列島とともに、ユーラシア大陸北東部のカムチャッカ半島に至る約1200キロの弓上に連なる火山列島に位置します。根室半島納沙布岬からは144.5キロ離れています。全長204キロ、面積は3167平方キロメートルあり、日本で最も大きな島になります。これは鳥取県(3507平方キロメートル)の広さに近く、北方4島の中では63.3%分になります。 写真には、富士山にその姿が似ていることから択捉富士と呼ばれたアトサヌプリを写したものがいくつかありました。沿岸にやってきたトドや珍しい海鳥を撮影したものは、島が生き物の宝庫であることを伝えています。