「誰1人辞めなかった」横浜隼人3年生60人 背番号遠かった選手たちのファイナルマッチ/神奈川
<スペシャルファイナルマッチ:横浜商大高16-6横浜隼人>◇24日◇横浜スタジアム 【写真】戦いを終えた横浜隼人と横浜商大高の3年生たち 礼儀や取り組みの姿勢に厳しい横浜隼人・水谷哲也監督(59)が、ベンチでずっと笑っていた。 ほほ笑みの裏に、高校野球の監督にしか分からない苦しみを抱えている。毎年6月末の、悪夢。 「地獄ですよ」 選ばなければならない苦悩を、そう表現する。自分のチームを、高校を、希望して入ってきてくれた野球部員。この学年は3人の女子マネジャーを含め60人もの大所帯になった。夏のベンチ入りは20人。40人近くは背番号をもらうことができず、サポート役で最後の夏を過ごすことになる。 「俺は高校野球をやってきたんだ、という環境を最後に作ってやりたい」と水谷監督はかねて言ってきた。相鉄線沿線同士の両校でこの時期、ベンチ入りが確定していない3年生同士の試合を行う。最後のアピールの場であり、選手によっては高校野球の“引退試合”にもなる。 もう四半世紀の歴史がある。今年は大差がついた。ベンチで「俺まで回せ~!」と叫んだ東野援思外野手(3年)には、打席は回らなかった。「エンシン(援思)まで回せ~!」と叫ぶ仲間たちもいた。水谷監督は「一番のムードメーカーです」と認める。 今春の県大会はベンチ入りした。でも壁は厚い。「夏は今のままだと多分、難しいと思います」と東野自身も口にする。「悔しいですけど、自分の役割に徹します」と応援に熱を入れる自分の姿を想像する。 将来の夢は「お金をちゃんと稼いで幸せになること」。苦しい2年半だったが仲間に恵まれた。「自分、いま、幸せなので。いつか自分にも子どもができたら幸せにできるように」。男として今を頑張る。この日もヒットは出なかったけれど、思い切り振った。 東野の隣で中沢広陽投手(3年)も声を出し尽くした。「頑張れ頑張れ!」「絶対大丈夫だ!」。励まし続け、7回に自分のマウンドが回ってきた。 水谷監督は「左腕で期待もしていたし、苦しい時もあったのに最後まで頑張ってくれた」と目を細める。劣勢の試合だったが、しっかり3人で抑えた。途中に女子マネジャー3人がマウンドに来て、ともに天を見つめた。 初めての横浜スタジアムのマウンド。もしかしたら最後かもしれない。「うまくいなかった時も多かったですけど、仲間と一生懸命できた2年半でした」。将来は「人の役に立ちたいです」という。土木や設計の仕事を志し「あきらめないこと、続け抜くことを大人になっても大事にしたいです」と胸を張る。 全員が夢を持って入学し、誰もが夢をかなえられるわけじゃない。自分の立ち位置を知り、しっかりと受け入れることも。青春の大事な学びだ。 8回に登板した新丈一朗投手(3年)は制球が定まらなかった。球に勢いもない。5失点し、ようやくアウト3つを取ると、出迎えてくれた仲間たちになだれ込むように体を預けた。 「悔しい高校野球でした。2年生でイップスになってしまって」 投げられるはずなのに思うように投げられない。「毎日つらくて。無理かなと思った時もあります。辞めようと思ったこともあります」。でもやり通した。 「今日もみんなが『頑張れ』って励ましてくれて。守備にも本当に助けられました。水谷先生をはじめ先生方、仲間のおかげで人間的に成長することができたと思います」 新はファウルを打たれるたび、球審からのボールをしっかり帽子をとって受け取った。自校の女子マネジャーが場内アナウンスをした。自分で「ピッチャー、変わります」と告げに行った。最後まで責任をもって、学んだことを表現した。 8回表には両校スタンドが「栄光の架橋」を合唱した。大所帯ならではの苦しみ。大所帯だからこその経験。彼らは苦しくても2年半を駆け抜けた。その代表が甲子園出場をかけてグラウンドに立つ。山野井寛大主将(3年)は「60人誰1人として途中で辞めなかったことがうれしかったです」と胸を張る。 だからこそ、背番号をもらう20人にかかるものは大きい。今秋ドラフト候補に挙がっている右腕の沼井伶穏投手(3年)は「支えてくれる3年生の仲間たちのためにも絶対に甲子園に行きます。みんなと一緒に行きたいです」と思いを新たにした。 7月下旬、この横浜スタジアムで歓喜の瞬間を迎えるのはどの高校か。頑張ろう、高校野球。両校の3年生90人が輪になって「高校野球、最高!!」と叫び、ハマの夜空に帽子を放り投げた。水谷監督はその様子をやはり、ほほ笑ましげに遠くから見守った。熱い夏が来る。【金子真仁】