ケガを乗り越え充実のシーズンを過ごす米須玲音「河村勇輝さんの背中を見て自分も一歩ずつ」
追いかけ続ける河村勇輝の背中「もう追い付けないかもしれないけど…」
川崎で、すでにB1デビューは飾ってはいるものの、米須の将来は現時点では不透明だ。前述のとおり、不運なケガに見舞われた期間で多くのチャンスをふいにしてしまった可能性もある。彼が目指すB1リーグは昨今、若手の競争が以前にも増して激しい。関東大学1部で主力として活躍しても契約にこぎつけられる保証はないほどに、そのハードルは上がっている。 よく大学を卒業したばかりのルーキーがBリーグと大学の差を「強度が違う」と表現するが、まさにそれは最適な回答だ。 特にガード陣のディフェンスの強度は比べものにならないだろう。前線から足を動かしてボールキャリーすらままならない激しいディフェンスを仕掛けるのは、小柄なガードが生きていく上で間違いなく必要な要素の一つ。さらに、ピック&ロールがオフェンスの軸となる近年のBリーグでは、簡単にスイッチでミスマッチを作られないためにあらかじめポイントガードにサイズのあるウィング選手や、2mを超える外国籍選手をマッチアップさせるケースも増えてきた。そうなればパスコースも限られ、学生時代までできていたプレーは簡単にはできなくなるだろう。米須もそれを承知の上で、「得点力」と「ディフェンス力」と念頭に大学生活を過ごしてきた。 すでに同学年の小川敦也(宇都宮ブレックス)や金近廉(千葉ジェッツ)はプロ契約でB1を戦っている。彼らの存在が焦りを生んでいるわけではないだろうが、米須に“B1の現実”を見せているのは間違いないだろう。米須はプロへの思いを「ケガが多くあったので、B1に行けるかどうか分からないですけど、でもそこを目指してやっているので、もし声がかかればB1でやっていきたいなと思ってます」と悲観し過ぎず、だが楽観し過ぎずに捉えている。このリーグ戦とその先のインカレは、彼にとってプロ入りに向けたオーディションでもあるのだ。 そんな米須には、高校時代から追いかけ続ける選手がいる。河村勇輝である。 米須と河村が全国で初めて対戦したのは2018年のウインターカップ。米須は当時東山の1年生で、河村は福岡第一の2年生だった。スーパールーキーとして注目を集めていた米須だったが、この直接対決では54-83で完敗を喫し、河村に高校バスケの厳しさを味わわされた。そこからは常に米須と東山の前に河村の福岡第一が立ちはだかることになる。 全国での次の対戦は翌2019年の鹿児島インターハイ。準々決勝で顔を合わせた両者は3Qを終えて4点差という壮絶な戦いを繰り広げたものの、最後は福岡第一が突き放して70-56で勝利。そのまま優勝までかけ上がった。個人スタッツは米須が10得点、3リバウンド、4アシストだったのに対し、河村は20得点、6リバウンド、6アシストだった。 まだ終わらない。両者の最終決戦は同年のウインターカップ準決勝、舞台をメインコートに移した先に用意された。3度目の正直と意気込む東山は序盤から試合を先行。前半を38-28の10点リードで折り返した。福岡第一のディフェンスにも捕まらずに試合をコントロールする東山を見て、多くの人々が最強・福岡第一が揺らぐ可能性を感じたのではないだろうか。 しかし後半、福岡第一がお家芸のオールコートプレスを仕掛けて一気にリズムをつかむと3Qを30-11と圧倒。東山も追いすがったものの、最後は11点差(59-70)で試合終了のブザーが鳴り、米須と東山が河村の福岡第一を破ることはついになかった。この試合のスタッツは米須が10得点、4リバウンド、7アシスト。河村は25得点、5リバウンド、10アシストだった。試合の支配力もスタッツも、河村は常に米須の一歩前にいた。だからこそ、米須にとって河村は目指すべき背中であった。 話を現在に戻すと、奇しくも米須に話を聞いた10月20日は河村がメンフィス・グリズリーズと2ウェイ契約を結んだその日だった。米須も自身のSNSで河村の契約を喜んでおり、そのことについて触れると「もう、すごいしか出ないっすね」と苦笑い。その表情は河村の成功を喜びつつも、もう同じ土俵には立てないのかもしれないという、やや悲しみも入り混じったようなものだった。 「あれだけ高校時代には近い存在でいさせてもらっていましたが、今では直接戦うこともできないです。自分がケガに追われている間に河村さんはどんどん上に行っちゃって…」。だが、これからも河村の背中を追い続ける。「…というのもありますが、その背中を見て自分も一歩ずつやっていきたいです。もう追い越すことはできないかもしれないですけど、河村さんの背中を見ながら、自分はどうしたらいいのかを考えて一歩ずつやっていけたらなと思います」 173cmの河村が日本代表で、そしてNBAで認められ活躍する。であれば自分も。それが米須の思いだ。「河村さんは僕よりもサイズは少し小さいです。だったら自分もやれないことはない。周りのガード選手たちも絶対にそう思っていると思うので、僕もそう思いながらもこれから先もやっていけたらなと思ってます」 インカレが終わり、年が明ければ米須は22歳になる。取材の最後に、「大学バスケを引退した後はBリーグで取材させてね」と言葉をかけると彼は「はい、頑張ります」とはにかんだ。まだ22歳、不可能なんてないはずだ。
文/堀内涼(月刊バスケットボール)