「一条天皇の最期の願いもド忘れ…」道長の意外すぎる一面。強気に見える道長もいろんなミスをしていた。
このとき道長は、「高親を召問せず」と伝えるのを忘れてしまい、ほかのことを命じてしまいました。後で、道長の息子の頼通から「高親を召問した」と聞いて、道長は自分がど忘れしていたことに気がつき、高親を放免しました。 誰にでも忘れることはありますが「おいおい、大丈夫か……」と突っ込みたくなる道長の物忘れでありました。 冒頭で紹介した歌を詠むとは思えないほどの道長の間の抜けようではありますが、人間臭くて、どこか、可愛らしくもあります。
1009年に道長に対する呪詛が判明したときなども、道長は出仕を遠慮するということを言い出しています。「我が身の大事のため」とのことですが、小心者な一面もあったのです。 道長が強気だったのは、娘の立后や、立太子のときだけということも言われていますが、それは道長が権力を得るための勘所を押さえていたということでしょう。何でもかんでも強引に進めてしまえば、反発を招き、権力が瓦解する可能性もありました。そうした点で道長は、権力の本質をよく理解していたのです。
(主要参考・引用文献一覧) ・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973) ・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985) ・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007) ・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010) ・倉本一宏『藤原道長の日常生活』(講談社、2013) ・倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を読む』(講談社、2013) ・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
濱田 浩一郎 :歴史学者、作家、評論家