【Playback箱根駅伝】第5回/最終区で明大・八島健三が五輪マラソン代表の意地! 東京高師をかわして逆転V
2024年に箱根駅伝は第100回大会を迎える。記念すべき100回に向けて、これまでの歴史を改めて振り返る『Playback箱根駅伝』を企画。第1回大会から第99回大会まで、大会の様子を刻んでいく。(所属などは当時のもの) 第5回箱根駅伝総合成績をチェック
第5回(1924年/大正13年) 五輪代表の明大・八島健三が健脚披露 10区で東京高師を逆転
前年の1923年9月1日に関東大震災が起きた影響で開催が危ぶまれたが、沿線の復興にめどがつき、コースを一部変更して行われた。前回2位の中大は不出場。日本歯科医専が2年ぶりに出場した。 往路は先頭が激しく入れ替わるレースとなる。1区では東農大が林譲二郎の快走でトップ中継を果たすと、2区では早大が先頭に立った。 草創期は長距離選手を10人集めるのに苦戦するチームも少なくなく、専門外の中距離選手やフィールド種目の選手もしばしば借り出された。東農大の2区を走った棚橋源一郎は棒高跳の選手。先頭でタスキをもらって力走するも区間8位と苦戦して6位に順位を落とした。 3区では5位でスタートした明大の高橋釋三郎が区間賞の走りで4人抜き。一気に先頭に立った。明大は4区でも首位をキープしたが、5区で東京高師の栗本義彦が区間賞の走りを見せて明大を逆転。東京高師が2年ぶりに往路優勝を果たした。 6区でも佐藤秀三郎が区間新記録の快走で東京高師が2位明大との差を2分44秒4から13分26秒に広げる。それでも明大は7区の永谷寿一が1人で7分34秒も差を詰める区間新記録の激走で逆転優勝に望みをつないだ。 永谷の走りで勢いに乗った明大はその後も差を詰めて、9区終了時点で東京高師との差を1分余りとする。 明大の10区を任されたのは入学前の小樽中3年の時、1920年アントワープ五輪のマラソンに出場したエースの八島健三。八島は東京高師の畠山勇三を勢いよく追いかけると、鈴ヶ森で追いつきそのまま引き離す。復路で驚異的な追い上げを見せた明大が3年ぶり2回目の優勝を飾った。 最終区で逆転を許した東京高師は2位。3連覇を狙った早大は3位に終わった。 参考文献:箱根駅伝90回記念誌(関東学生連盟)
月陸編集部