死刑目前 特攻隊長の歌「わが最後の夜とも知らず 帰りつつあらむ老母思ふ」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#64
1950年4月6日。特攻隊長・幕田稔大尉は生涯最後の朝を迎えた。石垣島を空襲していたグラマン機の搭乗員を殺害し、敗戦後にBC級戦犯として囚われて3年余り。スガモプリズンでの死刑執行は、深夜0時半と告げられている。31歳、独身の幕田大尉は家族への遺書を書き出したー。 【写真で見る】死刑を宣告される幕田稔大尉
最後の朝、床の中で煙草をくゆらせ
幕田稔大尉の遺書は、1953年刊行の「世紀の遺書」(巣鴨遺書編纂会)に収録されているが、長文だったためか家族に向けた遺書は割愛されている。「刀剣と歴史」(昭和57年11月号)刀菊山人<なまくら剣談(三十)>によると、幕田大尉が処刑を言い渡されてから綴った遺稿は、「漫談」と「昨日今日の日記」と題する二篇があり、「漫談」は「世紀の遺書」に掲載されたもののようだ。そして、「刀剣と歴史」では、家族に向けた「昨日今日の日記」を紹介している。 <幕田稔の遺書(昨日今日の日記)>※現代風に書き換えた箇所あり 稔は、今朝は五時少し前、目をさまし、今日は煙草はいくらでも吸えるのだから早速、煙草を床の中でくゆらし、復員した時、母上が私の為に買っておいてくれた甘い煙草を毎朝床の中でふかした事などを連想していました。 昨夜は全くよくねむりました。夜半にちょっと目を醒し、ぼんやりしている時思いついた短歌を書き留めて、またぐっすり今朝まで熟睡しました。下手なその時の短歌を紹介します。 〈写真:幕田大尉の家族へ向けた遺書 「刀剣と歴史」(昭和57年11月号)刀菊山人<なまくら剣談(三十)>より〉
「わが最後の夜とも知らず」母を思い歌作
スガモプリズンでは短歌を詠むことが盛んに行われ、部屋を訪ねての歌会もあった。幕田稔大尉も多くの歌を遺しているが、これが遺書に書かれた最後に詠んだ歌だ。 <幕田稔の歌>※「世紀の遺書」より 網越しに今日見し母の額なる深き皺々(しはじは)眼はなれず 老母(おいはは)のかけし前歯が悲しけれ最後(つい)の別れと今に思へば 吾が最後(つい)の夜とも知らず陸奥(みちのく)に帰りつつあらむ老母思ふ 夜半にめざめ思ひ浮べる母の歌ついのかたみと書き留めにけり 〈写真:死刑を宣告される幕田稔大尉(米国立公文書館所蔵)〉