米で大ヒットの映画「オッペンハイマー」 子孫らが語る原爆開発と投下から得るべき教訓とは(2)
■誰かが原爆を生み出すこと自体は避けられなかった
――原爆を日本に投下する必要があったどうかについて、あなた個人はどう考えていますか? たとえば歴史に関する分析の中には、技術的な手法として、日本の天皇を恩赦する合意が得られれば、それが戦争を終わらせる別の方法になったという分析もあります。しかしそれは、歴史修正主義の一部です。2023年の私が「原爆投下は必要なかった、分かっているんだ」と言うようなものです。一方で当時、実際に原爆投下を決断した人々にとって、それが目に見えて分かることだったとは思いません。投下を決めたのは、軍の指導部や原爆計画の立案者たちでした。私の祖父は、原爆を使うかどうかを決める役割は、全くと言っていいほどありませんでした。「この兵器は絶対に必要ない。我々は、この戦争に勝利するし、戦争は終わる」と断言できるほどの十分な情報はありませんでした。我々は、後から振り返って、全てを定義づけることができます。例えば2002年にグーグルの株を購入していれば、今の私は天才に見えるでしょう。今、原爆投下をするべきではなかったと言うことは出来ますが、当時は恐ろしい戦争の中、それが明確ではなかったのです。 この問題(原爆投下の是非)は複雑です。原爆投下は必要なかったし、そうするべきではなかったと言う歴史家もいます。世界に核兵器の力を見せるために原爆投下をするべきだったと言う人もいます。(当時の状況をふまえた場合に)我々が原爆投下をするべきではなかったと100%明確に言える見解がないのです。振り返っても正確に何をすべきだったか分からない、複雑な問いなのです。我々が知っていることは、もう二度と核兵器を使いたくないということです。それが原爆投下と第二次世界大戦の結果です。我々は、新たな第二次世界大戦を望んでいません。危険過ぎて、第二次世界大戦どころか第三次世界大戦になり、広島と長崎に投下されたよりも数千倍強力な原爆が投下されかねないのです。それが、我々が学ぶべき教訓です。我々は、過去と現実を受け入れ、もう二度と核兵器を使うことがないように教訓を得ることです。それが重要です。 ――さらに言えば、核兵器の開発じたい、必要だったのでしょうか?核兵器の開発を避けるような方法が、何かしらあったと思いますか? 核分裂を見れば、それは自然の事実です。つまり自然がこうなった場合、このような結果になるということを、人間がどこまで理解しているかという話なのです。それが科学者がしていることです。非常に基本的なレベルで、科学の話をしているのです。早い段階で、祖父を含めて世界中の一流の科学者は、核分裂連鎖反応がおきれば、そこから爆弾が作れることに気づいていました。残念ながら、1945年当時、トルーマン大統領はこれを誤解していて、秘密に出来ると思ってました。原爆を作って、それを秘密にしていればいいと思っていましたが、それは完全な誤解でした。自然の摂理がそれ(原爆の開発)を許すのなら、別の人であっても、作ることができたのです。最終的に、核分裂からエネルギーと爆弾を作ることは不可避でした。問題は、いつそれが起こるかだったのです。それが私の祖父の役割でした。おそらく祖父なしでは当時、作ることが出来なかったかもしれませんが、いずれは作れたことは間違いありません。ドイツのナチス政権や、スターリン率いるソ連が作れていたかもしれませんし、もっと最悪の結果が生じていたかもしれません。いずれにしても、これが我々の結果です。祖父は、「科学の奥深さが作られるのは人類がそれを望んでいるからではなく、それを見つけることが可能だからだ」と言っていました。科学の前に、隠し立てはできないのです。
■アメリカや中国、ロシアの協議の中心に日本が立って欲しい
――最後に日本人へメッセージがあれば、お願いします。 核分裂とエネルギーについて、我々は過去に、第二次世界大戦でトラウマ、死、破壊を経験しました。いま、我々は将来、世界の問題解決のために同じ種類のエネルギーを使う可能性があります。核分裂のエネルギー、原子力エネルギーを含めてです。我々が世界を結束させ、兵器や戦争についてではなく、世界がいかに協調できるかを話し合う中で、日本は重要な役割を担っています。中国やアメリカ、ロシアの協議の中心に日本が立つ、これ以上に良いことはありません。我々は、より良い未来のために協調すべきです。それが私の願いです。