米で大ヒットの映画「オッペンハイマー」 子孫らが語る原爆開発と投下から得るべき教訓とは(2)
■可能であれば日本でも映画の公開を
――映画を通してアメリカや日本、世界の人々に、オッペンハイマーの生涯や核兵器について、人々に何を知ってもらいたいですか? 誰かが我々家族に関する映画を作ったり本を書こうとする時、我々にコントロール出来ることはあまりありません。なので私は、我々自身の取り組みと価値観を話したり、平和と結束が我々の問題の最善の解決策だという祖父の考えを人々に理解してもらおうとしています。それが祖父の助言であり、我々は、核管理についてさらに協調が必要だということです。それは2023年の今も重要です。我々は、核分裂からより多くのエネルギーを生み出すことができますし、敵とみなしている国とも、もっと協調出来るし、そうしなければいけません。現在のアメリカで言うと、それは中国とロシアですが、更なる対立ではなく、平和が必要です。それが必要なメッセージです。なぜなら、それに代わる選択肢というのは、映画の最後のシーンで強調されていますが、原爆が使われ、世界が破滅するというオッペンハイマーが抱いた最悪の恐怖だからです。最後のシーンでは、ミサイルが世界中に向けて発射されましたが、これが負の側面です。そのような結果が起きてはならないのです。
――今まさに、核の脅威が高まっています。日本での映画の公開はまだ決定していませんが、日本でも映画が公開されることを望んでいますか? 映画で批判されている点の1つが、核兵器の影響、広島と長崎について描かれていないということです。ノーラン監督は、非常に意図的にそうしました。当然、私とは何の関係もありませんが、ノーラン監督は、ロバート・オッペンハイマーの見解を通して物事を伝えることを選んだのです。ロバート・オッペンハイマーは広島と長崎を訪れていませんし、純粋に、ロスアラモスで仕事をしている科学者を描いたのです。そして軍の側が長崎と広島に原爆を投下することを決めました。それを映画で見せない決断が批判されていますし、その描写をもっとはっきり見せられたと言う人もいます。日本の方々はこの映画を観ることに敏感になるのは必然ですが、第二次世界大戦に関する全てのことが敏感になり得るとも思います。日本で映画を公開し、人々に映画からメッセージを感じ取ってもらうことは、トータルではプラスになると思います。 もうひとつ、祖父は1960年代に日本を訪れました。日本の科学者や政府関係者らから歓迎され、祖父の戦争当時の役割や義務に対する理解があったと感じています。祖父はまた、日本の科学者や学者らをプリンストン高等研究所に招きました。これは、第二次世界大戦後の日米協調の素晴らしい事例です。 我々は永遠に敵だと言うことも出来ますが、そうではありません。今では、アメリカ人は誰もが日本人のことを好きですし、日本の人々はアメリカとビジネスをしています。これこそが、戦争のような恐ろしいことを乗り越える正しい方法です。この映画を観ることで議論を呼びおこすでしょうが、可能であれば日本でも公開するべきだと思います。