タカシマヤ閉店で岐阜県から百貨店“消滅”…してなかった!? 客のニーズに応え続けて66年 普段着で気軽に立ち寄れる老舗“デパート”発見!
7月末に岐阜タカシマヤが閉店し、岐阜県は百貨店がゼロになったはずですが、今も営業を続ける老舗デパートを発見! 地元で長年愛されるそのデパートは、大手百貨店とはひと味違う、普段着で気軽に立ち寄れるような場所でした。
66年前から地元で愛されるレトロな「富士屋デパート」
7月末、惜しまれつつも47年の歴史に幕を下ろした岐阜タカシマヤ。これで、岐阜県はデパートのない県に...と思いきや、閉店した岐阜タカシマヤから、JR岐阜駅方面へまっすぐ10分ほど歩いたところに、“皆様の富士屋デパート”と書かれたレトロな看板を見つけました。店先は、どこか懐かしさを感じます。
中に入ってみると、野菜や積み上げられた寒天、カラフルすぎるタオルに地下足袋まで、さまざまなものが所狭しと並んでいます。店内に置かれた家庭用冷凍庫の中には、うどんや枝豆が入っていましたが、これもれっきとした商品。 常連客は「靴からなんでもそろうので、すごくいいです」「タカシマヤはなくなったけど、ここは安定して我々も助かっています」と、この庶民的な雰囲気が好評のようです。
地元で長年愛される富士屋デパートは、66年前に、創業者の一二三さんが妻の靖子さんと開店したそうなのですが、開業当初の広告を見てみると「富士屋デパート」ではなく「富士屋メリヤス」となっています。肌着のことを指す“メリヤス”の文字を使った理由は、二人の出会いに関係がありました。
昔、群馬県の「冨士屋」という衣料品店で働いていた靖子さん。そこで、肌着の卸をしていた一二三さんと出会い、「富士屋メリヤス」という名で肌着店を始めたのが由来です。それがなぜ“デパート”へ改名することになったのでしょうか。二代目社長の竹中一彦さんに聞いてみると…。 富士屋デパート 竹中一彦社長(62): 「肌着とか衣料をやっていくなかで、いろんなお客さんが来て『こういうものはないか』『ああいうものはないか』って言われた。『よし、明日にはあるようにしよう』と品ぞろえが増えていって。先代の負けず嫌い」