東大生が自然とやってる「要するに」という考え方 抽象度が高い子は、俯瞰的に物事が見える
すると今度は、内田さんのトイプードルが登場します。すると今度はまた比較、争いが起こります。内田さんは「チワワなんてうるさい犬よく飼うわね~。うちのトイプは全然吠えないし、お人形さんみたいで可愛いわ~」と。しかし、チワワもトイプードルも一段上に上がって見れば「小型犬」というカテゴリーです。同じ部類になります。同じということがわかれば、争いは起こりません。 するとさらに、今度は木村さんのゴールデンレトリバーが登場します。すると、また比較すると争いが起こります。トイプの内田さんは「よくあんな大きな犬飼うわね~。餌代かかるし、信じられない」と。しかし、トイプもゴールデンも一段上に上がって見れば、「犬」というカテゴリーになります。同じ部類です。
このように、「チワワ→小型犬→犬→哺乳類→脊椎動物→動物→生物」と上がっていくことを「抽象度が上がる」といいます。どの視点から見るかによって、人は判断や認識が変わってきます。 これを、算数に当てはめてみましょう。問題集1ページに10問の問題があったとします。抽象度の低い子は、すべて10問とも別々の問題と思っています。「これは、分数が出ている。これは小数があって、この問題は分数と小数があって」と。しかし、抽象度の高い子は、これらすべて10問の問題は“同じ”であることが見えています。ただ、違いも認識できています。この問題は分数、この問題は小数という表面的に形が違っているけど、「やっていることは同じ」であると“見えて”いるのです。
次に国語に当てはめてみるとこうなります。例えば国語の説明文。1つの段落で言いたいことは1つしかありません。抽象度の低い子は、書かれている文章の用語が違っているし、構造が違っているから、すべて違っていることが書いてあると錯覚をしています。だから字ズラを追い、設問では答え探しが始まります。しかし、抽象度の高い子は、表面的な形は違っていても、「言っていることは同じ」ことが“見えて”います。 ■抽象度が高い子は、俯瞰的に物事が見える