内向的な部下には「情熱がない」と決めつけていないか
■外向的な人は「情熱的」と思われやすい 想像してみよう。あなたは直属の部下2人に対し、チームの重要なプロジェクトを担当するよう依頼した。2人とも、このチャンスに情熱を傾けてくれるだろうと期待している。すると、一人はアイデアについてあなたと話し合う際に明らかに興奮した様子で、活気に満ちており、ランチの席でも同僚とプロジェクトについて語り合っていた。一方、もう一人の反応はさほど情熱的ではなく、いつも通り、落ち着いた様子で感情を露わにしないようだ。あなたは、どちらのほうがより情熱的に仕事に向き合っていると結論づけるだろうか。 もし1人目を選んだのなら、その判断をしたのはあなた一人ではないはずだ。一般的に、人の表向きの行動と内面の経験は一致していると考えられている。しかし、筆者らの最近の研究から、必ずしもそうとはいえないことが浮き彫りになってきた。 それどころか、実際の情熱の度合いにかかわらず、外向的な従業員(社会的な交流を通して活力を得る傾向のある人)は、内向的な従業員(孤独を通して活力を得る傾向のある人)よりも仕事への情熱があると受け止められていることがわかった。しかも、この認識が職場で大きな不平等を生み出している可能性もある。情熱的だと思われている従業員は、上司に引き立てられ、高い地位と高い潜在能力を持つと見なされ、財政面をはじめとするサポートを受けやすいことが研究によって示されたのだ。 では、仕事への情熱に関するこうした(間違っている場合も多い)認識は、なぜ生じるのだろうか。また、外面的な行動だけではない真の意味での情熱が認められ、評価されるために、マネジャーと従業員はどうすべきだろうか。 ■情熱に関する認識について理解する これらの疑問に答えるため、筆者らは米国在住の社会人1800人以上を対象に、一連の調査を行った。第1の研究では、165組の従業員と上司を対象に、互いの情熱のレベルを評価し、自身の情熱の度合いを自己申告するよう依頼した。また、参加者がどの程度外交的か、内向的かを評価するために、標準化された性格アセスメントも利用した。その結果、従業員が自覚している自身の情熱の度合いにかかわらず、上司は一貫して、内向的な従業員よりも外向的な従業員をより情熱的だと評価していることがわかった。 その一因として、外向的な従業員ほど、活発なボディランゲージ、口数の多さ、ダイナミックな声のトーンなど、一般的に情熱と関連づけられる行動を多く取っているという点が考えられる。これは、外向的な人は内面の感情をより外向き、かつ観察可能な方法で表現する傾向があるという先行研究とも一致している。 たとえば、外向的な人は喜びを感じると大声で笑うことが多いのに対し、内向的な人は同じ感情を静かな微笑みで表現する可能性が高い。「喜んでいる人」の典型的なイメージが内向的な人の表現よりも外向的な人の表現と合致しているように、「情熱的な人」の典型的なイメージも、外向的な人の情熱の表し方に合致しているようだ。 情熱的な人と聞くと、オプラ・ウィンフリーのトーク番組に出演した際に、ケイティ・ホームズへの愛があふれてソファで飛び跳ねたトム・クルーズや、迫力に満ちた弁舌で知られるウィンストン・チャーチル元英首相、議場で「燃えるような」演説を打つアレクサンドリア・オカシオ=コルテス米下院議員らの姿を思い浮かべるかもしれない。 情熱を感じる経験──つまり、心の中で燃える炎──は、その性質からして、個人の内面に存在するものだ。しかし、その情熱をどう表現するか、そしてそれが周囲にどう受け止められるかは、各従業員の外向性のレベルに左右されることが、筆者らの研究で明らかになっている。 さらに、従業員の情熱についての上司の認識が、目に見える形のリアルな影響をもたらすことも判明した。上司は、外向的な従業員が見せる活きいきとした情熱表現に高い評価を与え、それが好待遇、昇進や昇給の機会の増加、その他の利益に結びついているのである。 もちろん、内向的な人も外向的な人と同じように情熱を感じる能力を有している。筆者らが第2段階の研究として、1300人以上のフルタイム従業員に情熱を表現する方法について質問したところ、幅広い行動が挙げられた。 「話し声が大きくなる」「社交的になる」など、いかにも外向的な表現形式が挙げられた一方、「仕事の質への投資を増やす」「仕事により多くの時間を費やす」「仕事に没頭して集中する」など、外からではわかりにくい行動も多数見られた。「私の情熱は、乱暴な話し方や狂ったような手の動き、笑い方などに表れる」と語る人もいれば、特に強い情熱を感じた瞬間について、「(同僚と)ほかの話題について話したり冗談を言ったりすることなく、目の前の仕事に集中していた」と描写する人もいた。 たしかに、情熱の表出として真っ先に思い浮かぶのは、トム・クルーズやウィンストン・チャーチルのような人物かもしれない。だが、動きの少ない(しかし同様のインパクトがある)情熱の表し方も数多くある。 公民権運動の活動家ローザ・パークスは控えめで内気な人物と評されることが多いが、彼女は「ライオンの勇気」を持って活動に取り組んでいた。NBA(全米バスケットボール協会)選手のステファン・カリーの成功は「静かな炎」に支えられているし、孤独の中で情熱に向き合ってきたスティーブン・スピルバーグは「友人をつくるよりも、家に帰って脚本を書き、映画を編集していたい」と語っている。また、ウォーレン・バフェットも内向的な性格で知られている。彼らはみんな、より静かな形で情熱を体現しているのである。 内向的だが情熱を秘めている人の存在が世間で広く認知されているのに、なぜ多くの人が、外面的な行動だけが情熱の唯一の指標だと思い込んでしまうのだろうか(言うまでもないが、多くの研究が示すように、性格がステレオタイプ的な内向型か外向型かにかかわらず、情熱的な従業員は、より長時間、より必死に働き、仕事の質にも気を配っている)。 筆者らは最終段階の調査として、この点に光を当てた。さまざまな業種のフルタイム従業員200人を対象に、どのような形で情熱を表現したかを10日間にわたって毎日調べたところ、外向的な人は目に見える行動によって情熱を表現していただけでなく、より頻繁に、より多様な形で情熱を伝えていることがわかった。つまり、外向的な人は自身の内面で情熱を感じた経験と、それを周囲に効果的に伝えることのギャップを埋める能力が高く、その結果、同等の情熱を持つ内向的な人よりも、周囲から見えやすい(そして報われやすい)形で情熱を表現できるのである。