マイルスとモンクの“クリスマスのケンカ・セッション”の真相を探る
クリスマスのジャズに関するエピソードは、じつはあまり多くはないと言われています。その中でも有名なクリスマス・イブに録音された一曲をめぐる噂について、ジャズ評論家の青木和富さんが解説します。
クリスマス・イブの日に行われた、ある有名な録音
さて、今年もクリスマスがやってくる。以前にも書いたが、ジャズとクリスマスは、あまりつながらない。演奏で思いつくのは、チャーリー・パーカーが生ラジオ放送で、リスナーのリクエストに応えて、「ホワイト・クリスマス」を演奏した記録とか、ビル・エバンスがスタジオで録音の合間に「サンタが街にやってくる」をふざけて歌い演奏している記録とか、また、ポール・ブレイの初録音で、スタジオの時間が終了し、追い立てられながら立ってピアノを弾いたと伝えられるやはり「サンタが街にやってくる」とか、思い出すのは、どれも重箱の隅をつつくようなジャズのネタ話的な記録ばかりである。 とはいえ、ジャズとクリスマス・ソングとの関係はうすいけれど、クリスマス・イブの日は、ある有名な録音が行われた日として、ジャズ・ファンにはよく知られている。いわゆる「クリスマスのケンカ・セッション」である。このケンカの主人公は、マイルス・デイビスとセロニアス・モンクで、この現場の目撃者は、ビブラフォンのミルト・ジャクソン、ベースのパーシー・ヒース、ドラムのケニー・クラーク、録音技師のルディ・ヴァン・ゲルダー、そして、このセッションを仕組んだプレスティッジ・レーベル社長ボブ・ワインストックも居ただろう。さらに、評論家のアイラ・ギトラーも居たことが分かっている(このアルバムの解説を書いている)。 1954年12月24日が、この事件の当日だが、しかし、よりによって何でクリスマス・イブに録音するんだろうと素朴な疑問があるが、あまり家庭的な人たちではないという理由しか思いつかない。
「クリスマスのケンカ・セッション」と語られる理由
さて、この事件は、『マイルス・デイビス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』というアルバムに記録されている。冒頭の「ザ・マン・アイ・ラブ・テイク2」というのが、その迫真の現場記録で、この演奏から様々な憶測がジャズ界に飛び交った。筋道立ててあらましを書くと、この録音に入る前に、マイルスはモンクに、彼が作曲した「ベムシャ・スイング」以外は、自分の即興パートでのピアノのバッキングはやめてくれと言ったという。そのとき後輩に自尊心を傷つけられたモンクは、マイルスと殴り合いのケンカになったという噂話が広がったが、このような事実はない。関係者の目撃証言がないのだ。それに録音は、マイルスの目論見通りにほぼすべてが行われた。ただ例外が一つ、それが冒頭のトラックなのである。 この『ザ・マン・アイ・ラブ・テイク2』は、確かに緊迫感にあふれた演奏だ。演奏を追っていくと、まず、マイルスがテーマを演奏するのだが、これはミルト・ジャクソンも加わりながら、後半部分はかなり即興的に変えられている。それが終わるとテンポが速くなり、ジャクソンのソロになる。そして、それを受け継いでモンクのソロになるのだが、ここで「事件」が勃発する。何とモンクがソロを途中で止めてしまうのである。聴こえるのはベースとドラムのリズムだけである。これはヘンだと思ったのか、マイルスが突然トランペットを吹き始める。それで気を取り戻したようにモンクのソロが再開され、マイルスのソロになり、そのままラストのテーマ部になるのだが、マイルスはミュート・トランペットになったり、また元に戻したりとなかなか忙しい。 確かにモンクがソロを止めてしまうのは異様で、こういうことは滅多にあるものではない。そんなわけで、これは一般に次のように解説され広まっていった。つまり、モンクは、やはり演奏前のマイルスの指示に我慢ならず、思い出して怒りが吹き返したのだと。この解釈は、なるほどそうだろうと説得力があり、結局この演奏は、「クリスマスのケンカ・セッション」という伝説として、どこか面白おかしく引き継がれていったのである。