田中希実の父親が明かす“共闘”の真実 Vol.7 心掛けたのは、一般的な「親子」のようには接しないこと
田中希実。日本女子中距離界に衝撃を与え続けている小柄な女王。その専属コーチは実父・田中健智である。指導者としての実績もなかった男が、従来のシステムにとらわれず「世界に近づくためにはどうしたらいいか」を考え続けてきた。そんな父娘の共闘の記憶を、田中健智の著書『共闘』から抜粋しお届けする短期連載。 【画像】父がコーチになった2019年10月、ドーハでの世界陸上・5000mで日本歴代2位(当時)の記録を打ち立てた田中希実 第7回目は、いよいよ選手とコーチの関係となった父娘の、当初から現在まで続いている絶妙な距離感について。 -------------------- 2019年春、大学2年生となった希実、チームメートの後藤は、豊田自動織機TCとして、引き続きクラブチームという形で活動することになった。このチームは、豊田自動織機が実業団チームとは別に、個人での活動を支援するとして、彼女たちのために創設してくれたものだ。そして、私も本格的に娘たちのコーチを引き受けることになった。初めはあくまで急場しのぎ、新たなコーチが見つかるまでの「つなぎ」と考えていたのだが…。 ただ、一度コーチを引き受けたからには、自分なりのメソッドで彼女たちを目標まで導かなければならない。前田先生からバトンを引き継いだ後は、それまでの取り組みをいったんゼロベースにして、自分の現役時代を振り返り、「あの時にこういう練習ができていれば」「こういうことをやっていたらもっと強くなれたのでは」と常々考えていたものを、彼女たちの練習メニューに落とし込んでいった。 幼い頃から私と妻の練習を近くで見てきたからか、希実から「先生はこういう練習をやっていたのに」と不満をこぼされることはなかったと思う。人それぞれの指導スタイルがあり、前田先生の指導にも良さがあって、私にも自分なりの考え方がある。彼女はそれを理解し、そこに甲乙をつけるのではなく、自然と私のメニューを受け入れていったようだ。私もまた、希実には常に「この練習にどんな意味があるのか」をていねいに説明するようにして、彼女自身が体調や気象状況を考慮して調整したい部分があった場合は対話を重ね、双方が納得できるよう折り合いをつけてきた。 指導者と選手のすれ違いでよく見られるのは、指導者のやりたいことと、選手のやりたいことが上手く噛み合っていないケースだ。目標や練習プランについて、選手が考えていることを、指導者の方針が大きく飛び越えていたり、方向性がまったく異なっていたりしたら、それは指導者のエゴになってしまう。結果的に、選手の信頼を遠ざけることにつながりかねない。 私自身も、本人のために良かれと思って用意したことや、レースや遠征のプランが本人のやりたいことではなく、自分が「やらせたい」ことに傾いていないか、常に自問自答しながらやってきたつもりだ。大切にしているのは、海外遠征やレースプランを初めから指定するのではなく、その都度本人と「どうする?」と話し合うこと。こちらから「こういうやり方もあるんじゃないの?」と提案することもあるが、それが単なる「誘導」にならないよう、きちんとその意図を伝えた上で、最終的には本人の選択を尊重するようにしている。当たり前のようだが、コーチとは、あくまで選手の目標をサポートする存在であることを忘れてはいけない。 親子であり、コーチと選手という関係性―。 よく希実との関係性の変化について問われるが、個人的にはあまり変わっていないと思っている。というのも、中学・高校と二人で陸上の話をする時は、練習内容や試合結果より、考え方の部分に対するやり取りがほとんどで、そこはコーチと選手の関係になった今もあまり変わっていないからだ。「父親は娘に甘い」とも言われるが、私も娘も、互いに「べったり」という感じでもなく、どちらかと言えばドライな関係性かもしれない。 とはいえ、世間的には親子であるがゆえに、「甘やかしているのでは」と誤解され、特に結果が出なかった時は厳しい目で見られることもある。だからこそ、親子ではあるものの、一般的な「親子」のようには接さない。特に対外的、人に見られるような場面では節度を保ち、選手とコーチという距離感を守るように常々心掛けてきた。 【田中希実の父親が明かす“共闘”の真実Vol.8に続く】 <田中健智・著『共闘セオリーを覆す父と娘のコーチング論』第3章-覚醒-より一部抜粋> 田中健智 たなか・かつとし●1970年11月19日、兵庫県生まれ。三木東高―川崎重工。現役時代は中・長距離選手として活躍し、96年限りで現役引退。2001年までトクセン工業で妻・千洋(97、03年北海道マラソン優勝)のコーチ兼練習パートナーを務めた後、ランニング関連会社に勤務しイベント運営やICチップを使った記録計測に携わり、その傍ら妻のコーチを継続、06年にATHTRACK株式会社の前身であるAthle-C(アスレック)を立ち上げ独立。陸上関連のイベントの企画・運営、ランニング教室などを行い、現在も「走る楽しさ」を伝えている。19年豊田自動織機TCのコーチ就任で長女・希実や、後藤夢の指導に当たる。希実は1000、1500、3000、5000mなど、数々の日本記録を持つ女子中距離界のエースに成長。21年東京五輪女子1500mで日本人初の決勝進出を果たし8位入賞を成し遂げている。23年4月よりプロ転向した希実[NewBalance]の専属コーチとして、世界選手権、ダイヤモンドリーグといった世界最高峰の舞台で活躍する娘を独自のコーチングで指導に当たっている。
編集部01