能登半島地震から3か月 復興へ…直面する課題 街の現実は【バンキシャ!】
日テレNEWS NNN
能登半島地震の発生から3か月。復旧・復興に向け少しずつ進む一方で、地震から3か月たって見えてきた課題もあります。いま、住民が思い悩んでいることは何なのか、取材しました。(真相報道バンキシャ!) ◇◇◇ 3月30日、後呂有紗キャスターが向かったのは石川県輪島市のパン屋さん。 後呂キャスター 「シックで、すてきなお店構えです」 出迎えてくれたのは、輪島市でパン屋を営む鹿島芳朗さん(41)。鹿島さんは毎日、午前7時を過ぎるとパンを焼き始める。この店も地震で大きな被害をうけて断水。2か月半たって、ようやく解消したという。 ショーケースに並んだパン。その中で後呂キャスターが気になったのが、地震のあとに作られた「ラポール」というパン。「ラポール」は、フランス語で「つながり」「かけ橋」「ご縁」という意味があるという。 鹿島芳朗さん 「実は震災で知人を亡くしまして。(知人は)人と人をつなぐような仕事をされていた。人柄もよくて、その人をイメージしたパン」 にぎわいが戻り始めた一方で、ある問題に直面していた。 ──地震前と比べて、お客さんの数は? 鹿島芳朗さん 「3割減くらい」 ──町自体にいらっしゃらない? 来るのが難しい人も? 鹿島芳朗さん 「2次避難、もしくは移住をされてしまった方、車がつぶれて物理的に来ることができない方も」 もともと輪島市の人口は、1月1日には2万3118人だったが、3月1日には2万2515人(輪島市による。3月29日時点)と、地震以降600人以上が減少。さらに3月、転出届を出した人は341人にのぼり、人口の減少が課題となっている。実際に、鹿島さんの子どもが通う学校でも地元を離れる生徒がいるという。 長女・須弥子さん(15) 「中学とかまで一緒だったので、転校するのを聞いて、やっぱりさみしいなと思います」 ──仲のいい子は? 長女・須弥子さん(15) 「仲のいい子も輪島を離れる」 「また会いたな」 これからも輪島市でパン屋を続けるという鹿島さん。 鹿島芳朗さん 「生まれて育ってきた町なので、元気がなくなるのはつらい。自分も元気になれる原動力となりたい」 さらに、活気が戻ったように見える港町でも「地元離れ」の影響が…。3月29日、石川県能登町の宇出津(うしつ)港。 地震の影響で中止になっていたせりが3月1日に再開。せり場には威勢のいい、かけ声が飛び交っていた。活気づく輪の中にいたのは、下平真澄さん(36)。下平さんは妻の扇さん(33)と夫婦で、能登町で鮮魚店を営んでいる。実は1月に下平さんに取材した時には、店が断水していたため、港で海水を使って魚の下処理をしていた。 あれから、およそ2か月。店の様子を見せてもらうと。 バンキシャ! 「水出ますね」 下平扇さん(33) 「本当にはかどるんです」 「水が出ることが本当に最高」 地震から2か月がたった3月6日、ようやく断水が解消した。水が出るようになったことで、刺身が販売できるようになった(現在は販売はインターネットのみ受け付けています)。しかし、人々が町に戻ってきていないと感じるという。 下平真澄さん 「元気がなくなっていくんじゃないかという不安。人がいないと飲食店とかも減って」 能登町は1月末から2月末までの1か月で、人口が132人減少。さらに今月転出届を出した人は156人いるという(能登町による。3月29日時点)。 下平真澄さん 「地元でお魚食べたがっている人のためにも頑張りたい」 「応援のメッセージもらったりそういうのが力になっている」 (3月31日放送『真相報道バンキシャ!』より)