容疑者の「刑事責任能力」とは 心神喪失者はなぜ無罪? /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語
障害イコール喪失・耗弱ではない
もちろん障害があるからといってイコール喪失ないし耗弱と認められはしません。裁判では、酔っ払い運転で人をひき殺した場合、その瞬間は心神喪失であったとしても、大酒を飲んで運転したらどうなるか飲む前に予見できたはずだから当たらないという判決も出ています。 起訴するかどうかを決める検察が容疑者が39条にあたるかもしれないと考えたら精神鑑定を行います。短い簡易鑑定と比較的長期に及ぶ正式鑑定があります。その結果が心神喪失であれば、あくまで参考ながら不起訴の可能性が高まります。心神耗弱も罪によっては不起訴としたり、求刑を軽くしたりします。 起訴後にも裁判所の判断で行われる公判鑑定があります。たいてい被告弁護人の依頼を受けて裁判官が職権でするかしないかを決めます。以上の結果を踏まえて裁判官が39条に該当するかを含めて判決を下します。心神喪失と判断すれば無罪です。 裁判所が鑑定を踏まえてどう判断するかについて重要な判例は、5人を殺害し、鑑定で精神障害の1つである統合失調症とされた男に対する1984年の最高裁決定があります。「犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機、犯行の態様等を総合して判定」するとしました。すなわち精神障害があるから責任能力がないとただちに言えないというのです。この判例は以後の裁判でもしばしば踏襲されているのです。少なくとも裁判所は精神障害=心神喪失・耗弱と認めず、現に心神喪失で無罪という判決は減っています。また、この決定は知的障害者にも当てはめられ、重度の精神遅滞はともかく、中・軽程度であればイコール心神耗弱とはなっていません。 もっとも検察が心神喪失で不起訴とする数はあまり変わっていません。それでも簡易鑑定から正式鑑定への流れにはなっていて、病院などに2、3か月拘束する鑑定留置が広がっています。
池田小児童殺傷事件を契機に新しい法律
ところで前述のマックノートン・ルールも「裁けない」で終えているのでなく「治療せよ」と訴えています。戦後に限っても少なくとも1980年代ぐらいまで「治療せよ」の方に重きが置かれず、ともすれば「裁けない」ばかりが注目され、現に犯罪があり、被害者や被害者家族また遺族が存在するにも関わらず、まるでなかったようになってしまう理不尽を味わった方も大勢いらっしゃいました。 この流れを変えたのが01年6月、大阪府池田市で起きた小学校児童・教師23人殺傷事件です。犯人の男は1999年に別の小学校でお茶に毒を混ぜたとして逮捕されたものの、起訴前の簡易鑑定は「統合失調症」の診断を下した結果、不起訴(起訴猶予)となり措置入院となりました。措置入院は自分や他人を傷つける恐れがある精神障害者に施される強制入院ですが、言い換えるとその恐れがないと判断されれば退院です。現にたった1か月後に出た後に犯罪を重ねた末の凶行でした。殺傷事件で検察が行った鑑定は「責任能力あり」。この時点で先の簡易鑑定が男の偽装である可能性がにわかに高まりました。