なぜサイバーエージェントはJ2町田の経営権を取得したのか?
そして、サイバーエージェントを右肩上がりで成長させてきた嗅覚は、米フォーブス誌が選定する日本の億万長者の一人をして「成長性と将来性で、Jリーグは非常にポテンシャルが大きい状況になってきた」と再認識させた。 「マーケティングが上手くいけば世界に通じる。そして、世界の代表的な選手がアジアのマーケットにキャリアを考える流れができていますし、マネタイズも放映権を地上波に売るという一本やりではなくなってきた。ファン獲得などのコミュニティー作りも含めてやれることが非常に多いなかで、マーケットの規模が拡大しそうなフェーズに来ていると考えています」 東京発のビッグクラブを生み出せるのではないか――ヴィッセル神戸のオーナーを務める三木谷浩史氏(53)にも、大いなる刺激を受けたのだろう。サッカー界への復帰を志した藤田社長は「古巣」でもあるヴェルディとまず接触したが、残念ながら条件が折り合わなかった。 今春。共通の知人を介して、藤田社長は株式会社ゼルビアの代表取締役社長(当時)だった下川氏を紹介される。青山学院大学経営学部への入学を機に、生まれ育った福井県鯖江市から上京した藤田社長にとって、町田市はちょっとした縁を感じさせる町だった。 「最初に東京へ出てきたときは(隣町の)相模大野に住んでいて、遊びに行くときはだいたい町田でした。自分的にもホームタウンとして、町田は非常にしっくり来るんです」 加えて、ゼルビアが貫く矜持にも魅せられた。静岡県清水市(現静岡市清水区)と並ぶ少年サッカーの町として名を馳せた町田は、小学生の選抜チームを巣立った子どもたちがサッカーを続ける場として中学生年代のU-15、高校生年代のU-18が発足してきた独自の歴史をもつ。 そして、ピラミッドの頂点に立つトップチームが最後に生まれる。1989年に発足したFC町田トップは1997年にFC町田ゼルビアとなり、東京都リーグ2部から着実にステップアップ。藤田社長によれば、ゼルビアが描いてきた軌跡は「驚くほど質実剛健に見えた」という。 「僕がいたころのヴェルディはJ2でしたけれども、選手の補強費が断トツでした。それでもなかなか勝てず、サッカーとは不思議だと当時は思っていたんですけど、その意味でも町田は作り上げてきたサッカーチームとしての文化や、経営陣や監督の優秀さがある。それらを尊重しながら世界的なクラブへもっていくところで、この先にどのような絵を描いていくかをいまは考えています」