刻まれてきた感動と波乱の歴史 ファンが有馬記念に魅せられる理由
1956年から始まった競馬のG1有馬記念(第1回のレース名は「中山グランプリ」。翌年から「有馬記念」へと改称)。一年の総決算として12月下旬に開催し、世界でも珍しい競走馬のファン投票を実施するこのレースは、競馬ファン以外の人からも注目を集めるほどの人気となった。数えて58回目となる今年は、12月22日(日)に行われる。 有馬記念がこれほどの人気レースになった理由。もちろんそれは「ファン投票」と「一年の総決算」という位置付けによるところが大きい。しかしもっとも大きな理由は、有馬記念そのものが生んできた歴史にある。 有馬記念を振り返る上で、数々の劇的なドラマを欠かすことは出来ない。その代表が1990年。当時、国民的人気を誇ったオグリキャップが不振にあえいだのがこの年の秋。6着、11着と信じられない大敗を続け、「オグリは終わった」と言われる中、引退戦に選んだのが有馬記念だった。 しかし、天才・武豊とコンビを組んだオグリキャップは、まるで最後の気迫を振り絞るかのように復活。引退戦を勝利で飾ったのだった。 そのほかにも、ケガによる1年ぶりのレースながら奇跡の勝利をつかんだ1993年のトウカイテイオー。宿命のライバルである同世代のトウショウボーイを相手に、スタートからゴールまでマッチレースを繰り広げ勝利した1977年のテンポイントなど、有馬記念のドラマを挙げればきりがない。 一方で、大観衆が静まるほどの波乱が起きてきたのも有馬記念だ。15頭中14番人気という低評価ながら勝利し、「世紀の番狂わせ」といわれた1991年のダイユウサク。その翌年、今度は16頭中15番人気で逃げ切り勝ちを決めたメジロパーマー。そして、あのディープインパクトが唯一国内のレースで敗れたのも、2005年の有馬記念だった。 有馬記念の舞台となる中山競馬場の芝2500mは、コーナーを6つ回るテクニカルコース。カーブは小回りで、最後の直線も310mと東京競馬場より200m以上短い。そのためアウトコースを回れば大きなロスが生じ、最後の直線で挽回するのも簡単ではない。つまり、ポジションや一瞬の判断、あるいは運が結果を大きく左右する舞台なのだ。