テレビからYouTubeへ“戦略的撤退”――。オリエンタルラジオ・中田敦彦の戦い方
伸び悩む再生回数「あっ、死ぬ」
当時、キングコングの梶原雄太は「カジサック」を名乗り、YouTubeの世界に本格的に参入して、華々しい結果を出していた。その背中を見て、中田もYouTube進出を決意した。だが、最初のうちは何をやっても再生回数が伸びず、全く手応えがなかった。 「YouTube大学を始める直前なんて、動画の再生回数は300回ぐらいでした。登録者数も9000人から8000人にどんどん減っていって『あっ、死ぬな』って。そこで本気でやらないといけないと思いました」
「あっちゃん(中田)は教育系のYouTuberが向いていると思う」という梶原のアドバイスを聞いて、全面的にそちらに舵を切った。中田は、結果を出している先人の言うことは素直に聞く。決して嫉妬したりはしない。 「嫉妬する人って、うらやましいと思いながら近付いていかないから余計にストレスがたまるんですよ。いいと思っているなら、自分から学んでがんがん吸収していけば『ありがとう』って思えるようになるんです」 YouTubeを研究して、貪欲に学び、実践を続けてきた。PDCAサイクルを高速で回転させ、アップデートを繰り返していった結果、押しも押されもしない人気YouTuberになった。 芸人という立場でテレビを捨ててYouTubeに専念するのは無謀な行動にも見える。だが、実は中田は大胆に見えて意外と慎重な面もある。テレビの仕事をやめるときにも、あらかじめ2~3年分の生活費をまかなえるだけの貯金を確保していた。
守るか、無謀か、ではなく”家賃半額”という選択肢
「あと、家賃も下げました。妻を説得して半分の家賃の家に引っ越しました。意外と臆病者なんですよね。ギリギリ死なないっていうのが大事。だいたいみんなガチガチに守るか無謀に飛び出すかの二択で考えがちなんですけど、その中間があるんですよ」 中田はこれまでに数々の著書を出してきた。その多くは、自分がどのように成功してきたか、どうすれば成功するかを説いたビジネス書である。それらは読者を熱く鼓舞するような内容だった。