壮絶舞台裏…なぜキックボクサー江幡塁は「RIZIN」で亡き友の三浦春馬さんに復活勝利を捧げることができたのか
亡き友に捧げた復活の勝利だった。 「2、3週間前に大切な親友を亡くして辛い立場になって、自分自身では、戦えないかなという精神状態になりました」 三浦春馬さんは、江幡と同じ茨城県土浦市出身。小学校時代からの幼馴染で親友である。双子の兄で同じくキックボクサーの睦と3人で共に夢を語りあってきた。 「3人の夢。僕らは格闘技で輝く、と約束したんです」 ショックだった。 「体調、コンディションが(崩れ)今までにないくらいのパニック状態」(江幡)となり練習はストップ…とても試合ができる状況ではなかった。 榊原信行CEOも「友人に不幸があってとりやめになるかな」と欠場を覚悟していた。 「僕が背中を押して出すことをはばまれるくらいに2人は近い関係だったから」 だが、江幡はリングに上がることを決意する。 「僕は格闘家なので戦うことでメッセージを残したい。そこで輝くことが大きな力になるんじゃないかとリングに上がりました」 それが春馬さんの遺志のようにも思えた。 「切り替えよう」と練習を再開したが、いつ始めたかさえ覚えていない。 「3、4日後? 1週間くらい…いつスタートだったかあいまいなんです」 おそらく練習にはならなかったのだろう。 それでも前へ進めたのは…春馬さんが残した、あの日の言葉である。 春馬さんはトップ俳優として人気を集めて世に出た。江幡兄弟もキック界ではチャンピオンとなり存在感を示していたが、弟の塁は、昨年の大晦日にRIZINという大舞台でビッグスター、那須川天心と戦う人生最大のチャンスを手にした。 「輝く」という夢を実現する舞台である格闘技の殿堂「さいたまスーパーアリーナ」の花道を3人で歩いた。そのままセコンドに春馬さんがついてくれた。だが、試合は、天心に圧倒的な力の差を見せつけられ、1ラウンドに3度倒されての無残なKO負け。 「ああいう試合になりうる選手だと想像ができていました。やるか、やられるかの勝負。僕が倒すか、彼が倒すか。結果、敗れて、たくさんのことを学ばせてもらいました」 江幡は、春馬さんの肩を借りて控室へと戻った。 その途中で、春馬さんは、「次、いこうな!」と声をかけてくれたのである。ノックアウト負けで、意識が朦朧としていた江幡は、その言葉を覚えていなかった。のちにテレビ局が作ったプレビュー映像を見て、その友の励ましを知ることになる。 「大晦日は一緒に入場しました。あの時の舞台裏の声を初めて聞いて、やっぱりそうなんだ、まだまだ僕たちは、もっともっと輝ける、もっともっと先へいける、もっともっと未来があると」 前に進むことを止めたら友と兄と3人で誓った約束を裏切ることになる。 双子の兄の睦も共に闘った。練習だけではなく、私生活でも、ずっと塁に寄り添いフォローしてくれた。ずっと3人で、そして、この日も、3人で戦った。 江幡は大晦日以来となる復活リングで、親友の存在をそこに感じていたという。 「本当に…3人で入場したなあ、という感じがしていました」 春馬さんの思い出の品は何も会場に持ってこなかった。 「心の中では、春馬がいるし一緒に近くで戦ってくれていました」 あの勝負を決めた右のカウンターを打たせてくれたのは春馬さんだったのかもしれない。