映画『エクソシスト』に流れる歌のない曲は、高校中退のビリオネアのおかげ? 起業家リチャード・ブランソンが結婚祝いのベントレーを手放して手に入れた奇跡
「こんな音楽は今まで聴いたことがない」
そして1973年5月25日。レコード会社のヴァージンは、初めてのアルバムを4タイトル同時リリースした。グラム・ロック全盛時代において、『チューブラー・ベルズ』のような、歌のない45分もののインストゥルメンタル作品がどう歓迎されるか、それは無謀な賭けのようなものだったに違いない。 最初の2週間、セールスはやはり死んだも同然。しかし、オールドフィールドが全身全霊を注ぎ込んで完成させた新しい音楽に胸打たれていたブランソンは“売り込み”を開始。 ほどなくして、ラジオDJジョン・ピールが自らの番組で全曲流し続けるという“事件”が起きた。ヴァージンが放送時間を買ったのではない。「こんな音楽は今まで聴いたことがない」とDJが感銘を受けたからだ。 これを機に注文が増え始め、話題となっていく中、6月25日にはクイーン・エリザベス・ホールで『チューブラー・ベルズ』のコンサートが大々的に計画される。しかしその当日、ブランソンは20歳になったばかりの“主役”から、思わぬ言葉を聞かされる。 「リチャード、僕は今夜のコンサートには出られないよ」 「……おいおい、すべての準備は終わってるんたぜ」 「でも、できそうにもないんだよ……」 「彼は死んだような囁き声で繰り返した。私は絶望感が波のように押し寄せるのを感じた。マイクはその気になれば、私と同じように頑固だということを知っていた。すべてのコンサートがアレンジされ、チケットは完売で、テレビの放映も了承されていることを忘れようと努めた。そういうことを説得の材料に使おうとしても、マイクをより意固地にさせるだけだった」
1500万枚以上の売り上げ、イギリス史上11番目のベストセラー
「ドライブに行こうよ」と、ブランソンは港の近くに駐車してある自分の古いベントレーのところに歩き出した。オールドフィールドがこの車を気に入っていることは知っていた。それにたくさんのオーディエンスが向かう会場の前を爽快に走れば、彼の気分も変わるかもしれない。 「運転してみるかい?」 「……ああ、オッケー」 オールドフィールドが運転するベントレーは会場を離れて、かつてブランソンが「スチューデント」を編集していた教会のそばを走り抜けていた。 「マイク、この車欲しくない? プレゼントするよ」 「えっ!?」 「僕はここで降りて歩いて帰るよ。運転していいからさ。もう君のものだし」 「冗談よしてくれよ。この車は君の結婚プレゼントだろ?」 「いいんだよ。君はこれに乗ってクイーン・エリザベス・ホールの周りを巡って、今晩ステージに上がってくれよ」 二人の間に沈黙が流れた。 数時間後。オールドフィールドは歓声と拍手喝采を浴びながら、深くお辞儀をしていた。『チューブラー・ベルズ』は翌月チャートの23位になり、8月には遂にトップに立った。 このアルバムは最終的には1500万枚以上を売り上げて、イギリス史上11番目のベストセラーになった。ブランソンは当時を振り返ってこう言った。 「ベントレーを犠牲にしたのにはそれなりの価値があったが、私はもう一台、ベントレーを買う気にはならなかった」 文・構成/TAP the POP 画像/左:2009年発売『Tubular Bells : Original Album 2009 Remaster』(Mercury UK) 右:Shutterstock ●引用・参考文献『ヴァージン―僕は世界を変えていく』(リチャード・ブランソン著/植山秀一郎訳)
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