民族意識が芽生え、野球への情熱を取り戻し、人生の分岐点ともなった高3夏の韓国遠征。差別なく誰もが平和に暮らせる世の中を願う【張本勲の喝!!】
今までにない感情
広島にある原爆ドーム。平和を訴える記念碑[写真=Getty Images]
今年の夏の甲子園は8月6日の開幕のようだが、出場を勝ち取ったチームの選手たちは思う存分、プレーしてもらいたい。この時期になると、私も甲子園を目指していた高校時代を思い出す。そして同時に被爆した苦い記憶もよみがえってくる。今年の甲子園開幕日は原爆の日でもあるが、あの日のことを忘れたことは一度もない。昔はなるべく振り返りたくない気持ちが強かったが、今は生き残った者として、その歴史を語り継いでいく責任があると感じている。あんな悲惨な出来事はもう二度と起こってはならない。 さて、私が結局、甲子園に出場できなかったことは、このコラムで何度も述べてきた。最後の夏は下級生に対する暴力事件の首謀者とされ、まったく納得のできないまま、高校野球を終えることになった。あのときの怒り、悔しさ、喪失感は今でもはっきりと覚えている。 当時の私は相当に荒れた。気持ちがすさんでいた。もう自分の人生など、どうなっても構わないという気持ちだった。あの連絡がなかったら、私は道を踏み外していたに違いない。野球をやめていたかも分からないし、そうなれば当然、今の私はない。 「韓国遠征に行かないか」 最初は何のことか分からなかった。聞けば在日韓国人高校野球選手によるチームがあるという。その選抜メンバーの一員になって韓国で試合をするというのだ。2年前から行われている行事で今回で3回目。私は飛び上がって喜んだ。 それまで韓国に行ったことはなかった。言うまでもなく両親、祖父母の祖国であるが、私自身は日本で生まれ育ったこともあり、在日韓国人であることは分かっていたものの、その意識は薄かった。しかしこの韓国遠征で、私は自分が韓国人であることを肌で感じることになった。 8月にプロペラ機で・・・
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週刊ベースボール