天皇が通いたくなる文化的サロン創設に利用された紫式部…恋愛が政治や権力にそのまま影響した平安時代の女性の生き方〈大河『光る君へ』でも描かれる!?〉
『愛憎の日本史』#1
2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主人公は、日本最古の物語にして、平安文学の金字塔『源氏物語』の作者・紫式部だ。彼女は時の為政者である藤原道長の娘である一条天皇の中宮・彰子に仕えていたが、なぜそもそも紫式部は彰子の元にいたのか。 【画像】宇治橋にある紫式部像
『愛憎の日本史』 (扶桑社新書) より、一部抜粋、再構成してお届けする。
『源氏物語』を読む上で、覚えておきたい天皇の妻たちの身分
天皇の妻には序列がありますが、基本的にはその女性が生まれた身分に応じて順番が決まっていました。 まず、正妻となるのが皇后、もしくは中宮です。 「なぜ、二つも呼び方があるの?」と不思議に思ったかもしれませんが、かつての内裏では中宮という位はほとんど使われていませんでした。この位を復活させたのが、藤原道長です。 当時の天皇である一条天皇には、すでに藤原定子という皇后がいました。しかし、藤原道長は自分の娘の彰子を一条天皇の元に入内させます。 そのとき、ライバルの定子と並び立つ存在はないものか……と考えた末、はるか昔に使われていた「中宮」という肩書を引っ張り出してきて、天皇の正妻を表す身分として使い始めたのではと考えられています。 皇后、中宮の次に身分が高いのが、摂政関白や太政大臣などの娘から選ばれるのが女御です。 皇后や中宮は、この女御たちの間から選ばれるのが一般的でした。そして、実家の身分が大納言以下の女性たちには、更衣という身分が与えられました。 なお、これは、平安時代にいつの間にか消えてしまったようで、鎌倉時代以降には出てきません。 『源氏物語』の光源氏の母である桐壺の宮は、更衣でした。更衣はあまり身分が高くはなかったので、彼女は天皇の寵愛を受けたせいで周囲のいじめに遭い、ついには死んでしまいます。源氏の君は父の天皇に愛されながらも、母の身分が低かったがゆえに皇族から外れ、臣籍降下されたのでした。 成長した源氏が、母の面影を追って出会ったのが藤壺の宮です。彼女は先帝の娘という非常に身分の高い女性だったので、最初から女御という立場で後宮に入り、桐壺帝の妃となっています。 なお、天皇の正妻である皇后が子どもを産み、その子が天皇になると皇太后となり、祖母になると太皇太后と呼ばれます。 今上上皇の奥様であられる美智子様も本来は皇太后と呼ばれるべきなのですが、現代では皇太后という名称を使わないので、上皇后という呼び方になったと聞いています。ちなみに、中宮には、皇太后のように、先代を呼ぶ名称はありません。 しかし、「皇太后」「太皇太后」という名前が出てきたとしても、必ずしも先代の皇后が皇太后と呼ばれるわけではありません。 ときに、天皇の姉や妹などにも、ときに皇太后や太皇太后という位を差し上げることがあったので、間違えないようにご注意ください。