現代で求められる「正しさ」は、個人・組織・社会を「潰す」可能性がある
三菱自動車やスズキの燃費不正、エンロン、ワールドコム、東芝の不正会計、ジェネリック医薬品の生産拡大によって生じた製薬業界の品質不正、冤罪の被害を受けた大川原化工機事件に象徴される軍事転用不正etc. 【図表で解説】組織不正が起きるカラクリ… 組織不正は、なぜあとを絶たないのか――。 組織不正がひとたび発覚すれば、企業の株価や評判は下がり、時には多くの罰金を払う必要が生じる。最悪の場合、倒産の可能性さえある。にもかかわらず、それでも組織不正に手を染めてしまうのはなぜか。 組織不祥事や組織不正の研究を続けている立命館大学経営学部准教授・中原翔氏が、組織をめぐる「正しさ」に着目した一冊、『組織不正はいつも正しい』から一部を抜粋してお届けする。
個人が「正しさ」を追求することで起きる「社会的雪崩(ソーシャル・アバランチ)」
現代では、どのような状況においても「正しさ」が求められます。 しかし、個々人が「正しさ」を求めるがあまり、それが積み重なることによって、個人のみならず、組織や社会などの全体が沈んでいく現象があります。本書では、これを社会的雪崩(social avalanche)と呼んでみたいと思います(*1)。 このことを考えるきっかけになったのは、第一章でも紹介したドナルド・パルマーの考えにふれたことでした。パルマーは、(不正のトライアングルとは異なって)不正行為者はむしろ不正をしようとは考えておらず、むしろ周囲に溶け込みながら仕事をしている人物ではないかと考えました。 私たちの日常生活(仕事生活)においても、周りを見渡した際にわざわざ自分がいざ不正をしようと態度や表情に表す人などいないように思います。それよりも、結果的に不正行為者であるとされた人々やそれが組織的な不正につながってしまった事案などを見ていくと、「彼・彼女らはむしろ自分たちがやっていることが『正しい』と思って、これらをやったのではないか」と考えられることが多いように思えたのです。 自分がある種の「正しさ」をもっていれば、周囲の人々にもそれが伝わり、仮に根拠がない状態でも組織的に大きな仕事を行うことは簡単です。多くの人は、そこで根拠があるかどうかを逐一確認することは少なく、その代表である個人が「正しさ」を担保していれば、それに乗っかって自分の仕事をこなそうとするものだと思います。なぜなら、その根拠を確認する作業は別のコストを伴いますし、根拠を確かめてそれが根拠ありだと分かると徒労に終わることもあるからです。 このことから個人が「正しさ」を追求することによって、個人のみならず組織を潰してしまうこと(潰すとまではいかなくとも疲弊させること)は、多かれ少なかれ「起こりうること」と考えられます。さらに言えば、こうした個人レベルの追求が、いずれの組織においても起こることによって「正しさ」が社会を潰してしまう(疲弊させてしまう)ことも当然ながら「起こりうること」なのです。 さらに、このような個人の「正しさ」の追求は、いつしか個人、組織、社会というように次第に大きな動きとなっていくことにもつながります。それはまるで、少しずつ雪が降り積もることによって次第に大きな雪崩が起きるのと同じ現象と言えます。個人の追求が個人を犠牲にするだけではなく、それが組織、社会へと少しずつ大きな雪崩を引き起こすことにつながるという点が、この社会的雪崩の怖さになります。 この社会的雪崩(個人的雪崩、組織的雪崩を含めて)の怖さとは、個人による「正しさ」の追求が原因とは考えられないことだと思います。理由は簡単で、それは「正しさ」というもの自体が原因の姿をしていないからです。「正しさ」ゆえに誰もそれを原因としては考えない、と言った方がいいかもしれません。 雪崩が起きる原因は「雪が降ること(降り積もること)」ですが、それが原因だと私たちはあまり考えません。それはとても自然な現象だからです。むしろ、「雪崩が起きやすい場所だったのではないか」とか「雪が解けやすい気温だったのではないか」というように、別のものに原因を求めると思うのです。原因が原因として理解されないところに、この社会的雪崩の怖さがあると言えるのです。 ここで少し考えてみると、個人の「正しさ」ゆえに組織的雪崩が起きること(個人としては「正しさ」が示されているのにもかかわらず、組織全体の不正状態が加速したり、最悪の場合組織運営ができなくなるような状態)が、これまでに論じてきた組織不正現象であると言えるでしょう。つまり、個々人のレベルでは「正しさ」が追求されていて、どこにも問題があるようには思えないにもかかわらず、組織的に「危うさ」を抱えてしまうという状態のことです。