U-15代表→山梨学院主将 エリート街道を歩んだ中央大準硬式主将の逸材がこぼした本音...「中央大の準硬式を選んでよかった」<準硬式・全国大会>
<文部科学大臣杯第76回全日本大学準硬式野球選手権大会:中央大2-1九州産業大>◇28日◇決勝◇さがみどりの森県営野球場 【一覧】山梨学院 卒業生進路 28日、文部科学大臣杯第76回全日本大学準硬式野球選手権大会の決勝戦が行われ、中央大が2対1で九州産業大に勝利。1対1で迎えた6回に、中央大5番・山口剛大内野手(2年=大崎出身)の適時打で勝ち越しに成功。 2対1のまま9回に行くと、中央大は一死3塁のピンチを招いたが、九州産業大のスクイズを阻止。3塁ランナーを挟殺でアウトにして、最後は主将・功刀史也内野手(4年=山梨学院出身)が3つ目のアウトを取り、歓喜の輪がマウンドにできた。 「まさか最後の2つを自分で取るなんて。特に最後のアウトは投げるのも怖いくらい緊張しましたけど、アウトの瞬間は『やっと終わった』って思いながら、マウンドに行っていました」 前回大会ベスト4、ケガで力になれなかった悔しさを晴らすため、OBたちの期待に応えるため。様々なプレッシャーと戦っていたからこそ、主将・功刀はマウンドで涙を流した。 U-15代表、さらに山梨学院では主力として、そして主将としてチームを牽引し続けた。高校球児であれば誰もが憧れるエリート街道を歩んできた功刀。そんなスターが「人生でも1、2を争う嬉しさです」と胸を張って、優勝に味をかみしめた。 その理由は、自身の中にあった準硬式に対する葛藤と戦った苦労があるからだ。 先述した通り、中学時代にはU-15で日の丸を背負い、強豪・山梨学院では主将として、甲子園交流試合に出場。高校野球最後の1年、新型コロナウイルスでアピールする機会が奪われたが、知る人ぞ知る逸材だった。 そんな功刀のところに、大学硬式からの誘いが恩師・吉田洸二監督を通じて届いたという。もちろん功刀のなかでも「大学でも硬式をやる」気持ちがあり、迷っていたところに、中央大の準硬式の選択肢が入っていた。 「最初は抵抗がありました。世間一般で見れば、準硬式は硬式と比較するとマイナーな世界なので、当時の自分は失礼ながら『(硬式より)少し劣る部分があるよな』と偏見を持っていました」 高校生・功刀にとって、準硬式の第1印象は決して良くなかった。それでも「将来、社会に出て活躍できる、レベルの高い学校を選ぼう」と両親と話し合いをして、中央大の準硬式を見学したところから、徐々に功刀の中にあった準硬式のイメージが変わった。 「まず、高校名だけ聞いても自分と同じ、それ以上に強いチームから来ていて、準硬式で結果を残して、なかには上のステージでもプレーしている選手がいることを知りました。 実際に見学してみると、想像以上にレベルが高かった。石井さん(現日本製鉄室蘭シャークス)など、硬式に負けない先輩たちがいました。そうした方々真剣に取り組んでいる姿を見て、『ボールは関係ない』と思えるようになったことで、偏見がなくなったと思います」 マイナスではなく、野球人、そして大学生としての成長のために、中央大の準硬式の門をたたいた功刀。見学時に感じていた通り、最初は準硬式のレベルに適応するのに時間がかかり、主力として出場機会を増やしたのは1年生の秋から。「自分の実力のなさを痛感した」という1年を経て、2年生から主力となり、中央大の看板選手の1人になった。