坂本龍一との別れから一年に寄せて 日常に根付いていた“世界のサカモト”の音楽
坂本龍一が否定を受けたことも? 映画『ラストエンペラー』でのエピソードも
余談だが、これほどの巨匠でも“否定”を受けたこともある。映画『ラストエンペラー』(1987年/日本公開は1988年)のベルナルド・ベルトルッチ監督との仕事は苦労も多かったと聞くが、書籍『skmt 坂本龍一とは誰か』でもベルトルッチ監督から「コンピュータを持ち込んで作曲するな」と何度も言われ、違和感を抱いたのだという。さらに「ノイズや、椅子のきしみがないじゃないか」と指摘され、「そこまで言うのなら、ノイズをサンプリングしましょうか」と答えたそうだ。ただ、そこでの打ち込みを使わないというテーマが、のちのピアノ、チェロ、バイオリンの編成による“トリオ”を組むきっかけとなった。さらに『ラストエンペラー』も、アメリカの『第60回 アカデミー賞』作曲賞を受賞して“世界のサカモト”と呼ばれるほどになったのだった。 彼の音楽は、幅広い意味での“アンビエント”だった。書籍『キネマ旬報 2023年6月下旬号』(キネマ旬報社)の音楽・文化評論家の小沼純一氏と映画評論家の南波克行氏の対談のなかで、坂本龍一の映画音楽は、葉っぱが擦れるような自然音よりも、冷蔵庫のコンプレッサーの音のほうがむしろアンビエントになり得る現代の感覚を表しているとあったが、それはまさに膝を打つような指摘だった。 『POPEYE特別編集 二十歳のとき、何をしていたか?』(2019年/マガジンハウス)のなかで、坂本龍一は「日本だって、電気がない、インターネットが通じない、という事態に見舞われる可能性はあります。そうなったときにどう逞しく生きていくのか」「何か起きたとき、個人としての生きる力、コミュニティとの繋がりが必要になってくる。危機意識を持って生きてほしい。いつまでも今の生活があると思わないでほしい」と呼びかけた。 彼は常に“日常”を見つめ、それを音楽で表現していた。それはイエロー・マジック・オーケストラでも同じだっただろう。逆にドラマ性を嫌った理由は、そこには必ず多かれ少なかれ人間のエゴが見え隠れするからだろう。そういった点もあって筆者は、彼との別れから一年を機に、坂本龍一の活動がいかに私たちの“日常”に根付いていたかをあらためて実感したのだ。 ※1:https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/news/20240321-OYT1T50097/
リアルサウンド編集部