熊野古道中辺路【前編】熊野の霊域の入口、滝尻王子社から花山法皇の伝説の地、近露の里へ
熊野古道中辺路(なかへち)は、平安・鎌倉時代に法皇、上皇が100回以上も参詣を繰り返した熊野御幸(ごこう)の公式参詣道として知られている。熊野御幸は京都から紀伊半島の西海岸を南下したのち、田辺で山に分け入り、熊野三山へと向かった。今回は滝尻(たきじり)王子社から熊野本宮大社に至る中辺路の前半部分、近露(ちかつゆ)の里までを紹介しよう。
滝尻バス停の真向かいの右手に熊野古道館、左手に滝尻王子社がある。熊野古道館には熊野古道の歴史・文化のパネル展示やビデオ紹介、休憩スペースがあるので、スタート前に立ち寄っていこう。熊野御幸が華やかに行なわれていた頃、ここ滝尻王子社では神楽や歌会などが催されていたという。 滝尻王子社の裏手から中辺路をスタートする。藤原定家の『熊野御幸記』に「崔嵬(さいかい)の嶮岨(けんそ)を昇り」とある剣山への登りだ。しばらくして胎内くぐり、続いて藤原秀衡の伝説で知られる乳岩に着く。なおも登りが続くが、これが結構つらい。剣山を越えると、なだらかな道となり、まずは高原(たかはら)熊野神社に立ち寄る。色鮮やかな社殿を取り囲む推定1000年以上の大楠に圧倒される。 高原熊野神社から、すぐのところにある高原霧の里休憩所へ。早朝、タイミングがよければ朝霧が迎えてくれる。目の前に棚田が広がり、遠く果無(はてなし)山脈が美しい。
ひと休憩したのち高原の旧旅籠通りに入り、高原池、大門王子跡を経て十丈王子跡へ。しばらくして小判地蔵と出合う。小判を口にくわえたまま行き倒れた巡礼者を弔い祭ったという。なおも登ると月が三体になって昇るという三体月伝説で知られる上田和茶屋跡に着く。急な冷え込みによる自然現象と思われるが、こうした摩訶不思議な現象が、熊野を霊験あらたかなところとして神聖化していったのではないだろうか。 逢坂(おうさか)峠を一気に下り、牛馬童子(ぎゅうばどうじ)口バス停を経て箸折(はしおり)峠へ。箸折峠には二体の石像が置かれている。一体は役の行者像、一体は花山(かざん)法皇の旅姿と伝えられている牛馬童子像である。花山法皇は、17歳という若さで天皇となったが、2年を待たずに譲位、出家という数奇な運命をたどることに。失意の中で花山法皇は、熊野御幸に旅立つ。熊野に向かう途次、食事のため、箸の代わりに茅の茎を折ったところ、茎から赤いものが滴り落ちた。けげんに思った法皇は、お供のものに「これは血か、露か」と尋ねたという。以来、この場所を箸折峠と呼び、近くの里を近露と呼ぶようになったのだという。寂しげな顔の牛馬童子像が印象的で中辺路のシンボル的存在として人気が高い。 箸折峠をあとに、近露の里が目の前に開ける。日置(ひき)川にかかる北野橋を渡って、左手のこんもりとした森が近露王子である。近露は江戸時代に参詣者の宿場町として栄えたところで、ここでバスに乗車して帰路に着くこともできるが、ここ近露周辺で1泊するプランもよいだろう。 後編では熊野古道中辺路の後半部分、近露から熊野本宮大社までの区間を紹介する。