大ブレイクも「多忙で心を亡くした」大河内志保 プロアスリートとの結婚生活が「食治の学び」の出発点
■芸能界を引退したことが「食の専門家」への第一歩に ── クラリオンガールとしての活動がきっかけで、新庄選手と出会ったそうですね。交際を始めてから芸能界を引退されましたが、どのような思いで決断されたのでしょうか。 大河内さん:私が初めて球場に足を運んだとき、彼が背負う期待の大きさを目の当たりにしたことが転機となったように感じています。大阪の地で、どれだけ阪神が愛されていて、どれだけ彼がスター的存在であるかを知った瞬間から、「野球だけに集中できる環境をつくってあげたい」と考え始め、引退への覚悟が徐々に固まっていきました。
だから引退後も「サポート」というより、「私がもうひとりの新庄剛志になろう」と。「彼が『野球』を、私が『それ以外』をしよう」と覚悟を決め、食事などの生活面からメンタル面のケア、メディア出演などのブランディングまで、すべてを担うことにしました。 ── 二人三脚で、同じ夢を追いかけたのですね。 大河内さん:彼は、大阪だけにとどまらず、全国、海外へと活躍の場を広げて「世界のスーパースターになりたい」と考えていました。私もその目標に向けて、彼を全力でプロデュースしていったんです。
── 調理師免許を取得したのも、新庄さんの栄養面を考えてのことでしょうか。 大河内さん:そうですね。モデル時代は忙しくて自炊する暇もなかったのですが、アスリートを食事でサポートするためには、栄養学からきちんと知識を身につけなければいけません。そう考えて、23歳のときに香川女子栄養大学に入学し、調理師免許を取得することにしたんです。また、外食だと人目が気になりますし、野球だと長いシーズン中で多忙のなか、なかなか外食ができないことも。どのような状況でも、多彩なジャンルの料理を、自宅で楽しめるようにしてあげたいという思いもありました。
■アメリカ生活で得た「パフォーマンスが向上する食事」 ── 2000年に新庄さんと結婚し、メジャーリーグに挑戦するために渡米されました。アメリカ生活では、日本で得た料理の知識がどのように役立ちましたか? 大河内さん:当初、シーズン中に私をひとりにするのも心配だということもあり帰国する予定で、彼の生活スタイルを整え、私は帰国。彼ひとりでアメリカ生活を送りました。ただ、シーズンが始まってすぐに、彼が太ももを故障して。それを知ったとき「やはり異国で活躍するためには食事管理を徹底しなければ」と直感しました。日本の食材をスーツケースに詰め込んで、トレーナーとともにすぐにアメリカに渡ったんです。