横山ひろし「師匠である横山やすしの言葉〈勝てよ!負けるな!〉の意味がわかってきた。相方を喪い、嫁・春けいこと再スタートを切る」
大金持ちキャラなどの“ホラ吹き漫才”で一時代を築いた松竹芸能の漫才コンビ「横山たかし・ひろし」。2019年にたかしさんが70歳で逝去した後、ひろしさん(77)は漫才コンビ「春やすこ・けいこ」として活躍した妻のけいこさんとコンビを結成しました。新たな1歩を踏み出す中で感じる漫才の奥深さ。そして、今になって噛みしめるたかしさんへの思いと師匠・横山やすしさんへの思いとは。(取材・文・撮影◎中西正男) 【写真】真っ赤なスーツの内側にある文字は… * * * * * * * ◆最後のほうはお客さんに対して心苦しい漫才になった 相方が亡くなって5年経ちました。どう言うんかな、正直、やり残したという意識はあります。まだ完結していないというかね。「たかし・ひろし」としても、自分としても。 これはね、もうどうしようもないことなんです。そして、口では説明しにくいところでもあるんですけど、もっとおじいさんになっての漫才を相方としたかった。そんな思いがあるんです。 杖をついて出てきて、そこで「笑えよ」とか「生きぃよ」とか、そういうフレーズを言うと、より一層味が出たんやろうなと。「夢路いとし・喜味こいし」先生みたいに、長くやれていたらなぁというのはあります。 それこそ、そこまでいけば相方のホラも味がさらに味が出たでしょうし、本人がもう85歳になってるのに「金持ちの息子じゃ」って言うてたら、親はいったい何歳やねんと(笑)。そんな漫才をやってみたかったなとは思います。こればっかりは、本当にどうしようもないことなんですけどね。 これも正直な話、相方も、最後のほうはお客さんに対して心苦しい漫才になってました。
◆車いすに乗っていても“金持ちキャラ”が勝ってくれた 晩年は腰の具合が悪くて車いす生活になってたんですけど、いずれ体調が戻っていったらまた立てるだろうという意識があった。 そして、これはありがたいばかりのことなんですけど、これまでやってきた漫才が印象の強いホラ吹き漫才やったからか、車いすに乗っていても“金持ちキャラ”が勝ってくれていたんです。笑いは繊細ですから、普通、車いすに乗って出てきた時点で「え?」となって笑いが起きにくくなる。でも、金ピカの車いすに乗って出てきたらキャラクターの力でお客さんが笑ってくださる。 ただ、それでも、以前のように立って漫才をやっていた時とは違う。お客さんは笑ってくださっているけど、やっている側からすると、それがベストではないことは分かっている。相方も口には出さなかったですけど、なんというのかな、寂しかったと思います。いつか立てると思っていた体もなかなか言うことを聞いてくれない。 そうなると、元気にやっていた時の舞台のパワーを何かで補おうともなり、僕の口数が増えたりもしていました。何かの間を埋めるように。そうなってる時点で、元気な時の漫才とは違ってたんでしょうね。 本当にね、体のことやし、どうしようもないんです。でも、いろいろ考えもします。 今になって相方のことをアレコレ考えることもあります。まず、コンビ仲は良かったと思います。若い頃はケンカをしたこともありましたけど、ある程度の歳になってきたらケンカはなかったですしね。
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