【自閉症の息子を持つ記者レポート】能登半島地震~行き場のない障がい者たち~
福祉避難所には当初25人の職員がいた。しかし被災し、過労で体調不良となり、わずか6人で対応。その陣頭指揮を執っていたのが法人の事業部長、藤沢美春さん(54)。自身にも重い知的障がいの自閉症で強度行動障害のある二女がいるが、自宅に置いて障がいのある人など介助が必要な人とその家族がホテルなど「2次避難」の受け入れ先が決まるまでの短期間、滞在する場所「1.5次避難所」探しに奔走。 震災から13日目、藤沢さんは行政とかけあい、羽咋市にある国の施設へ利用者とその家族全員の「1,5次避難所」が決まる。藤沢さんは「利用者とその家族がまとまって避難することが大事」と語る。障がい者の特性で顔なじみが集まって暮らすことがとても重要なことだという。
しかし、多動症と睡眠障害のある岩崎佑輝くんには「安心できる個室」の環境が整わず、相部屋の1.5次避難所で1泊したが、他の利用者とまとまって避難することに適応できないと両親は判断。15日の朝、迎えに来た父親の車に乗り、次の避難所へと旅立っていった。「2次避難」先で落ち着いて暮らせることを願うばかりだ。
輪島市を離れ1.5次避難所へ移動する際、泣き叫ぶ知的障がいがある森岡有美さん(33)。目まぐるしく変わる環境に戸惑う様子は見ていて辛いものだ。この時、既に法人は「2次避難所」探しを進めていた。
愛知県の福祉協会が被災した障がい者や介護職員を支援
震災から30日目、羽咋市から職員4人と利用者、その家族総勢19人が愛知県内の施設へ「2次避難所」としてやってきた。厚生労働省によると障がい者らとその家族、介護職員が集団で公的避難するのは国内初の試みだという。これに尽力したのが国内一の400以上の福祉ネットワークを誇る「愛知県知的障害者福祉協会」のメンバーたち。
きっかけは輪島出身で愛知県愛西市の福祉事業所で所長を務める田中雅樹さん。ありったけの支援物資を車に乗せ3日に輪島市へ入る。そこで「福祉避難所」として開所していた法人の理事長と出会った。そして現地の状況を事細かく密に愛知の福祉協会へ報告するなかで、受け入れ体制の準備が進められた。愛知の福祉協会は強靭なネットワーク力を生かし、集団での受け入れが実現したのだ。