史上最年長の競泳五輪代表 鈴木聡美の猛トレーニング トレーナー「普通の選手は耐えられない」可変を恐れぬ不変の日々をパリで結実へ
パリ五輪の競泳女子100メートルと200メートル平泳ぎ日本代表の鈴木聡美(ミキハウス)=福岡県遠賀町出身=は、3月の代表選考会で完全復活を遂げ8年ぶりの大舞台への切符をつかんだ。競泳の日本勢では史上最年長の33歳での快挙。「まだ、やれる」。母校の山梨学院大を拠点に周囲の応援や手厚いサポートに支えられながら、輝きを取り戻す歩みを諦めなかった。 ■SNS騒然「合成…じゃないよね」橋本環奈が降臨【写真】 甲府市で過ごす鈴木の朝は早い。午前5時過ぎに起床。卵かけご飯と納豆をかきこみ、6時半には学生とともにプールでの練習を始める。代表合宿などを除けば学生時代から約15年続く生活。「もう習慣だと思いますね」とさらりと言う。 主に2部練習。午前に加え、夕方からも泳ぐ。一度に1万メートル近く泳ぎ込むことも。学生から質問を受けることもあり、笑顔で答え、また壁を蹴り、水をかき前に進む。 100メートル平泳ぎで準決勝敗退に終わった失意の2016年リオデジャネイロ五輪後からの取り組みも。午前と午後の練習の間には大学から20分ほど移動し厳しいウエートトレーニングにいそしむ。「またか…」。ため息をつきながらも、歯を食いしばってきた。
山梨学院大の神田忠彦監督と甲府市内で「T-MARC(ティーマーク) フィットネスジム」を経営しながらウエート面を担う永井裕樹トレーナーが両輪で復活への道を支えた。永井トレーナーは「最初は来るたびに泣いていたが、乗り越えてくれた」と始めた8年前を懐かしそうに振り返る。 最初はスクワットを1分間、その後自身の体重を使い下半身を鍛える動きを1分間、これを5種目終えると1分休憩。1時間繰り返した。「むちゃくちゃな練習で僕も挑戦だった」と言うが逃げ出さず取り組む姿に強さの一端を感じた。 身体的に突出した部分があるわけではないという。永井トレーナーは「けがをしないことも大きいが、継続できる能力がすごく高い。普通の選手なら耐えられない」と話す。号泣した日も愚痴をこぼす時も多々あったが、続ける力があった。 鈴木はコロナ禍や東京五輪落選の影響でふさぎ込み「社業に専念した方が」と考えたこともある。ただ結果が出ない時期もずっと前に進んでいた。だからこそ神田監督や永井トレーナーも「まだやれる。大丈夫」と励ました。 12年ロンドン五輪で伸びやかな泳ぎで三つのメダルを得た。ただ加齢に伴って股関節の可動域も狭まる中、新たなフォームの構築が必要だった。強い体はそのため。栄光をつかんだフォームにこだわりはあったが、恐れず挑戦をやめなかった。 強靱(きょうじん)な肉体は速いピッチのストロークを実現させ、苦しい鍛錬は持久力も高めた。近年の自己ベスト連発につながる。神田監督も「劇的に何かあったといううまい話ではない。少しずつ」と明かした。 周囲のサポートなくして、鈴木の驚異のカムバックはあり得なかった。「監督もトレーナーさんも、所属先の方も私を主体として動いてくださっている。(厳しい練習も)うわ、嫌だななんて思ってても駄目。頑張ろうと思う」と鈴木は言う。 誠実な人柄もあるからこそ約15年、甲府で実りある時間を過ごしている。周囲への感謝を胸に3度目の五輪へ「覚悟を持ち一日一日の練習に取り組む」。可変を恐れずに過ごした不変の日々をパリで結実させる。
西日本新聞社