なでしこジャパン元コーチ、宮本ともみさんが私費で英国留学「監督としてW杯と五輪に」
かつてサッカー日本女子代表(なでしこジャパン)のボランチとして活躍し、今夏のパリ五輪までなでしこのコーチを務めた宮本ともみさん(45)が、英国マンチェスターに約3カ月間の予定で私費留学し、指導者として本場のサッカーを吸収している。このほど時事通信の単独インタビューに応じ、現地での学びや、今後の目標を語った。(ドイツ・ケルン在住スポーツジャーナリスト 吉泉愛) 【写真】北京五輪最終予選の韓国戦でプレーするなでしこジャパンの宮本ともみ選手=2007年 ◆ギャップを埋めるため 宮本さんは2017年、年代別代表のコーチスタッフ入りし、21年からA代表で池田太前監督の参謀を務めた。パリ五輪でチームは金メダルに輝いた米国に準々決勝で敗れ、8強に終わった。「自分の中での100%は出せたから、そもそも、その100%を広げないともっと上にはいけない」。指導者として成長する意欲をかき立てられた。 近年、欧州ではイングランドを筆頭に女子リーグの認知度が高まり、世界レベルの選手たちの活躍の場となっている。現在のなでしこも海外組主体で構成されており、「指導者が海外を知らずにやるには、知らないことが多過ぎる」と感じ、そのギャップを自ら埋めようと、英国への留学を決意した。 とはいえ、家庭のある身。「反対されるかな」という気持ちで家族に留学の相談を持ちかけると、真っ先に義母から「行ってきぃ!」と背中を押された。大学生の息子さんも興味津々の様子で賛成。何より「旦那さんが、『そしたら俺も3カ月間、ダイエット頑張ろうかな』と言って、私が『努力しにいく』と思ってくれことが、すごくうれしかった」。 マンチェスターでは語学学校が終わると、地元クラブのトラフォードFC、男子U18チームの指導に向かう日々を送る。チームのクルー監督からの信頼は厚く、練習時間の半分を任され、対戦相手の分析でも助言を求められる。英語と格闘する指導現場では「伝えたいことをどう伝えるかで相手がガラッと変わる」という気づきがあった。 「日本では『今のは違う、こうしよう』とか、入りがネガティブな言い回しが多かった。でも、ここの選手たちはそれだと乗ってこないし、変わらない。逆にある日の練習で、すごく良かったプレーを理由付きで肯定しようとして、結局言葉が出て来ず、ほめることもできなかった。その後に、英語で『私が見たかったのはそれだよ!』という言い回しを教えてもらって、そうか、そのひと言で十分に伝わるし、選手はサッカーをずっと楽しくやり続けられる。目からうろこだった」 一方で、日本人選手の良さも再認識した。「真面目に改善しようとする姿勢や周囲と協調できる能力、それはすごくいいところ。ポジティブなことばかり言って、できないことから目を背け、『アンラッキー』で済ますのは、多分、日本人には向いていない。日本の良さをベースに、失敗を恐れずにチャレンジすることを指導する側から促せたら」と思い描く。 ◆監督で「W杯と五輪」 年末には帰国するが「やっぱり現場が一番楽しい。今度は監督として、自分で責任を背負いたい。立場で判断も変わるし、もっと深くまで考えなきゃいけない。まずは代表ではなく、クラブの監督としてリーグ戦を戦って、山あり谷ありのシーズンの中でどれだけ選手とスタッフをまとめられるか。代表とは全然違うと思う」。 その先にある目標は「監督としてW杯と五輪に(出場する)」と明確だ。今年2月にパリ五輪出場を決めた東京・国立競技場での北朝鮮戦では、「国歌斉唱のとき、初めて涙が出てきた。あれは自分の中ですごく大きな瞬間だった。こんな運命があるんだと。ちゃんと次につなげげられたと実感できた」。自身が日本代表として20年前、当時崖っぷちにあった日本女子サッカーの未来を背負って、同じ場所、同じ相手とアテネ五輪予選の記憶が重なったのだった。 「今自分がサッカーに関わる一番の理由は、サッカーに育ててもらった恩返しをしたいから。日本サッカーの発展にどんな形であれ貢献できたら」。妥協なく常に現在の自分を越えようとしていた選手時代のまま変わらない目の輝きそう話す。今後は監督として人々を魅了するサッカーを見せてくれそうだ。