オリンピックで注目集まるセーヌ川、1本の川がなぜ「フランスの象徴」とまで言われるのか
一つひとつのカーブごとにそこにまつわる物語が、全長777キロの流れは人々の想像力をかき立てる
15億ドルもの資金を投じて浄化作戦が進められているセーヌ川は、今回のオリンピック・パラリンピックで主要な役割を果たすことになっている。パリの街を流れるこの川は開会式の舞台であり、すべてが計画通りに進めば、3つの水泳競技の会場になる予定だ。 ギャラリー:パリのゴミ捨て場から「泳げる川」へ、セーヌ川の再生 そもそもブルゴーニュ地方の丘陵からイギリス海峡に至るその流域には、フランスの総人口の3 割近くが住んでいる。遠い昔から文明や国民のアイデンティティーを伝えるルートとしての役割を果たし、中世の民間伝承から印象派の絵画に至るまで、何世紀にもわたってフランス文化に影響を与えてきた。 近年、河川に「法的な人格」を認め、法的な保護および環境保護を行おうとする社会運動が起きているが、それよりもはるか以前から、フランス人はセーヌ川を擬人化してきた。 たとえば、娘のレオポルディーヌをボートの事故で亡くした作家のビクトル・ユゴーにとって、この川は創作の女神であると同時に、殺人者でもあった。セーヌ川は、屋外の太陽光の下で油絵を完成しようとする「外光派」の画家たちのモデルを務め、吟遊詩人や音楽家の耳にメロディーをささやいた。さらにこの川は、人類の歴史の大半を通じて、神聖なものとして尊ばれてきた。 水源地は特にそうだ。セーヌ川の水源は、のどかなブルゴーニュ地方に位置しているが、所有しているのはパリ市だ。この緑豊かな環境で、いくつかの泉から湧き出した水が1本の小川となる。 セーヌ川を最初に横断するのは、石造りの小さな歩道橋だ。古代ケルト人は、セーヌ川の水源に、癒やしをもたらす川の女神セクアナへの供物をささげた。これにガロ・ローマ(ガリアが帝政ローマの支配下にあった時代)の巡礼者たちも続き、19世紀には彼らの聖域が発見され、考古学者によって発掘された。 源流から海に至るまでの間では、新石器時代の木製カヌーや1世紀の漁具、十字軍の騎士が川に投げ込んだ幸運のお守りといった考古学的な証拠が発見されていて、セーヌ川がフランスの歴史において中心的な役割を果たしてきたことがわかる。 セーヌ川の曲がりくねった流れには、一つひとつのカーブごとに、そこにまつわる物語がある。たとえば、ローマ帝国によるガリア(ほぼ現在のフランスとベルギーに当たる地域)の征服、バイキングの侵攻、イングランド王リチャード1世(獅子心王)が築いた難攻不落のガイヤール城の陥落、セーヌ川にまかれたジャンヌ・ダルクの遺灰、フランス革命、そして共和制の始まりなどだ。 ナポレオンは流刑地で死んだ後も、遺言で残した通り、彼が生前に「目抜き通り」と呼んでいたセーヌ川を経由して、ついにパリの街へと帰還を果たした。 長さではナイル川やアマゾン川、ドナウ川はもちろん、ロワール川にさえ及ばない。それでも、全長777キロのこの川は世界中の人々の想像力をかき立て、蛇行する流れは、フランスという国の象徴ともなっている。 ※ナショナル ジオグラフィック日本版8月号の特集「輝きを取り戻すセーヌの流れ」より抜粋。
文=メアリー・ウィンストン・ニックリン(ジャーナリスト)