老舗お酢メーカーの後継者は元広告マン。“創業者の末裔”と思われても「変化球勝負」で挑むワケ
「業界最大手との戦い方を学びたかった」
新卒で大手広告代理店のADK(アサツー・ディ・ケイ)へ入社する。広告代理店の二大巨頭といえば電通と博報堂が思い浮かぶが、播野さんは「業界トップに対して、2番手や3番手の“戦い方”を学べた」と語る。 「業界最大手の企業は、2位や3位の企業に比べて、ビジネスの規模感も、見えている景色も全く異なります。だからこそ、同じ戦い方をしては勝ち目がないわけで、真っ向から挑むのではなく、変化球で勝負することが求められます。そうしたビジネスの戦い方を実践で学び、自分たちで何かをプロデュースしてどんな反響が返ってくるのかを学べた経験は貴重なものになりました」 ADKには3年間勤めたが、「消費者心理に興味を持つきっかけになった」と語る。 「うまくいった広告も、うまくいかなかった広告も経験しました。特に面白いなと思ったのは『広告として評価が高いことと、商品が売れることは、必ずしもイコールではない』ことでした。広告賞を受賞しても商品が売れるかどうかは別の話で、消費者心理の奥深さを知ることができました」
タマノイ酢に入社するも「配属に葛藤」
そんななか、一番印象に残っているのが、ゲームのサウンドプロモーション企画だったそうだ。某ゲームのリメイク版をプレイした世代に向けて想起させる広告戦略に取り組んだという。 「思い出想起をいろんな角度から行うことになり、渋谷のセンター街で歩いている人たちに『耳に残るような懐かしい音楽を流す』というサウンドプロモーションを実施しました。結果的には多くの歩行者が振り返ってくれて、その様子をビデオカメラに収め、当時の部長にプレゼンしたんです。今で言うところのSNS企画に近いプロモーションでしたが、経営層から『すごく面白い企画をやってくれた』と間接的にポジティブな意見をもらえたのは、とても印象深かったなと感じています」 3年間、広告マンとして働いた後、2010年にタマノイ酢へ入社した播野さんだが、経営者である父親からは「まずは現場に入ってもらう」と言われ、工場で勤務することになった。 「私としては、ずっと広告代理店でやってきた経験をもとに、会社の成長に貢献したいという思いを抱いていました。それでもタマノイ酢はメーカーなので、工場で全ての商品が作られる。だからこそ、『現場を見ておくこと』が重要なんだと自分の中で解釈しました。入社後に色々な仕事に関わらせてもらいましたが、結果的には最後の部署で販売企画を担当することになりましたね」