【アンティーク・ヴァイオリンをめぐる冒険】未来へつなぐ新楽章
ルネサンスの頃から次第に、音楽は複雑な和声で構成された難解なものから、わかりやすい旋律が主体のものへと変化していき、やがてギリシャ悲劇を理想とするオペラの原型が生まれた。その流れにおいて、「旋律を歌うための楽器」としてつくられたのがヴァイオリンであると堀は語る。 ストラディヴァリウスを文京楽器の髙木彬矢に弾いてもらうと、エルガーの「愛の挨拶」が煌めくような音で、大きなインパクトを伴って響いた。「シルバートーン」と呼ばれる、この豊かで美しい音色の謎は解明されていない。だが近年、コンピュータ断層診断装置などによる科学的調査が行われ、その秘密のひとつは木材に隠されていたことがわかった。木材の密度は楽器の音質や音量を左右するため、ばらつきが少ないほどよいとされる。 ストラディヴァリウスの木材に刻まれた年輪の幅は、夏目も冬目もほぼ均一であった。当時は小氷河期だったからだ。これは全体的に密度が均一な木材が楽器に使われていたことを示している。一方で、ルネサンス芸術を彷彿させる独時の優美なフォルムには黄金比率が使われたと考えられている。 「もともと音楽自体が神に捧げるものであっただろうし、パトロンは王侯貴族だから、職人は際限なくいいものを追求してつくっていた。材料の選択、フォルム、細工の精度、まとっているニスまで、すべてが一級品なんです」と堀は言う。
アンティーク・ヴァイオリンは「オールド」と「モダン」に大別される。1800年以前につくられたものが「オールド」であり、その代表的な製作者がアマティ、ストラディヴァリ、グァルネリだ。一方で、19世紀以降につくられたものを「モダン」と呼ぶ。「オールド」の名器を研究し、その技法を模したヴァイオリンが、フランスや英国などでさかんにつくられた。 「アンティーク・ヴァイオリンの魅力は、木材の経年変化によって音がまるで熟成されるかのように味わいを増すことや、使われ方によって音質や音量も変化することです」と堀は言う。特に、高い技術をもつ演奏家によって受け継がれてきた楽器はよい音が出るし、より大きな音量で弾くことができるのだという。 若手奏者が演奏家としての本格的な活動や国際的なコンクールへの出場を目指すためには、豊かな音をより遠くまで届けることができるアンティーク・ヴァイオリンの使用が不可欠だ。だが「モダン」の価格も高騰している。他方、芸術家を支援するパトロネージが根づいていない日本では借りられる楽器も十分とはいえない。こうした現実を変えるために、文京楽器と三越伊勢丹ホールディングスがともに始めた取り組みが、「ヴァイオリン貸与プログラム」である。百貨店の上位顧客のなかにアンティーク・ヴァイオリンの所有者を増やし、若手奏者への支援の拡充を目指す。 「貸与されることで奏者は社会とのつながりを意識するようになり、演奏機会の創出につながる」と堀は期待する。「楽器の貸与を通じて、本物の音楽を日本じゅうに届けていくことができたらいいと思っています」
【写真】文京楽器の工房。自社ブランドのヴァイオリン「ピグマリウス」の製作のほか、演奏家から持ち込まれる弦楽器と弓の修理を行っている。 BY MAKIKO HARAGA