<球児のために>2020年センバツを前に 学び合う監督たち 都立初勝利へ共闘
「1、2、3」「もういっちょ!」。2月19日の放課後、東京都立小山台(品川区)で選手たちの掛け声が重なる。狭い運動場は他部との共用。練習は午後5時の完全下校まで2時間もない。部員50人が分かれてバント、もも上げなど10種類のメニューに励んだ。 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 「字が薄くて小さい選手は好機に打てない」。部員たちの野球日誌をめくりながら、福嶋正信監督(64)が漏らした。自分の生活態度や野球への気構えからチームの課題へと記述は次第に広がり、全体練習時間の短さを補うように団結を強めていく。 保健体育科教師で野球指導歴約40年の福嶋監督は、監督4校目の小山台で2014年、都立初の21世紀枠でセンバツに出場した。「都立を強くしたいと、指導者みんなで研さんを重ねてきたおかげ」。自身も発足メンバーの「高校野球研究会」は約40年前、強豪私学に勝ちたい若手教員たちの野球談議から始まった。甲子園優勝監督らを招いた講演や技術講習もあり、会員は約300人。私学や遠方からも顔を出す。 小山台の練習メニューの多くは研究会で吸収した。「日野式」「総工(総合工科)式」と発案学校名を冠したものもある。「学び合う仲間として惜しみなく手の内を伝える。後腐れはありません」。昨春の東京都大会では、研究会の指導者率いる5校が16強入りした。全体の底上げが「都立の夢」である甲子園初勝利につながると信じる。 多大な影響を与えるのが、赴任先の都立をすべてシード校に鍛え、都高野連理事長も務めた佐藤道輔さん(09年死去)。研究会の中核は、その教え子だった。「学校のグランドと教室に本当の意味の“甲子園”がある」。佐藤さんが1975年に出版した「甲子園の心を求めて」の世界は、福嶋監督が高校時代に逃げ出したくなった猛練習とはまるで違った。「多くの指導者のバイブル。目指す全員野球はここにある」。新入生には佐藤さんの著書を読ませる。 昨夏の東東京大会。小山台は関東一との決勝で好機に1本が出ず、零封負けした。決勝敗退は2年連続で、夏の甲子園まであと一歩。「分厚い壁だからこそ、やりきる楽しさがある」 研究会は世代交代が進み、若手が主力に。「都立の甲子園初勝利は誰かがやってくれる」。そう語る福嶋監督だが、残り1年の教員生活に懸ける思いは強い。中間目標にこう掲げた。「甲子園での勝利(都立初は小山台)」【松浦吉剛、川村咲平】=随時掲載