サカイからバルマンまで──パリ・ファッションウィークから読み解く、“着てもらえる服”の生み出し方
1月16日から21日(仏現地時間)まで開催された、2024年秋冬シーズンのパリ・メンズ・ファッションウィークを振り返る。 【写真を見る】サカイからバルマンまで。パリ・メンズ・ファッションウィークを振り返る フィレンツェで始まりパリで幕を閉じた2024年秋冬のメンズファッションショーでは、セーターをスカーフとして身につけるスタイリング(詳細はのちほど)以上に至る所で見られた傾向があった。エディター、バイヤー、セレブ、モデル、どこを見回しても誰かはサカイ×カーハート WIPのニットジャケットや帽子を身に着けていたのだ。サカイのPR担当者によると、これは大規模なシーディングキャンペーンによって作られた光景ではないという。正真正銘の純粋な人気であり、今いかにファッション界がサカイに夢中になっているかを物語っている。 サカイはコム デ ギャルソン出身の阿部千登勢によって1999年に設立された。阿部は、様々なガーメントが持つDNAを繋ぎ合わせてまったく新しい服を作り出す、ハイブリッドデザインで知られている。彼女による最近のランウェイショーはどれも素晴らしかったが、このブランドはまだ過小評価されているように感じる。ルイ・ヴィトンやリックオウエンス(アミリでさえも!)など、今週私がパリで取材した主要ブランドとは異なり、サカイは決して大きな話題の一つでもなければ、最も話題になるショーでもなかった。しかし、これは仕方のないことである。同ブランドが登場したメンズショーの最終日には、フロントロウのゲストたちだって世間話の話題も尽きて、さっさと開催地を後にしようとしていたのだ。 ■実用性は見過ごされがち? ワードローブのベーシックアイテムを基軸とする阿部のコレクションは、華やかさやラグジュアリーさで観客を圧倒することはない。彼女の関心は、むしろ実用的なファッション、つまり日常生活を豊かにしつつも決して邪魔にならないコンセプチュアルな服をデザインすることなのである。カーハートやナイキといったブランドとコラボレートしているのはそれゆえだ。「このブランドが過小評価されているのは機能的であるためでしょう。ファッション業界では機能的なものはあまり注目されませんからね」と、私の友人でありSSENSEのオンライン編集長であるステフ・ヨッカは言う。彼もこの一週間、ずっとサカイ×カーハートの大きめな黒いダッフルコートを身に纏っていた。 華やかさに溺れ、厳しい経済見通しに直面しているこの業界で、阿部のアプローチは見事だ。日曜日、彼女はスケジュール最終日の憂鬱から私を呼び覚ますような衝撃的なコレクションを発表し、パリ・ファッションウィークに華を添えた。そのなかでも注目となったのは、ニューヨークの伝説的スケートボーダーでアーティストでもあるマーク・ゴンザレスとのサプライズコラボレーションだった。彼がデザインしたパッチがあしらわれたM-83ジャケットが巧みなレイヤードスタイルに落とし込まれ、実用的な衣服がユニークでありながら洗練されたアイテムに生まれ変わったのである。 ハイブリッドのロングコートや、花瓶のような丸みを帯びた袖のナイロンボンバージャケット、テーラードのプリーツスカートを共布のパンツに合わせたスタイルなど、65ものルックに及ぶコレクションのスケールに、「驚きの連続です」とゴンザレスは興奮冷めやらぬ様子で語った。「テーラードジャケットやボンバージャケットのような、とてもシンプルで見慣れたアイテムを、彼女は驚くような作品に仕上げてしまいます」と、ヨッカは言う。阿部の卓越した才能は「実用的でテクニカルなディテールを、野暮ったくならないように取り入れることができる」点にあると話すヨッカは、「サカイを着て街を歩けば、クレイジーでパワフルな気分になれるんです」と付け加えた。 バックステージで、各アイテムのデザインを終えるタイミングをどう見極めるのかを阿部に尋ねた。彼女の作品はとても細部まで作り込まれていて、見ているだけでも魅力的なのだが、なぜか決して大げさすぎたり奇をてらったりすることはない。「とてもいい質問ですね」と彼女は答え、「私は単に自分が着たい服をデザインしています。ショーのためだけではなく、実際に着てもらいたいのです」と語った。パリの街角や他の場所でも、その基準で見れば、彼女は間違いなく成功している。 ■いかにして服を着てもらうか? ここで今シーズンの最も難しい問題の登場だ。ファッションデザイナーとして、自分がデザインした服を実際に着てもらうにはどうすればいいのか? 言わずもがなのことに聞こえるかもしれないが、この問題とそれに関連する別の問題、つまりいかにして人々に服を“買ってもらうか”という命題を私は区別して考えたい。 ここ最近、パンデミックによるオンラインショッピングの急増や、終息後の反動によるイベントや結婚式、バケーションに着ていく服への出費の伸びなどによって、各ブランドは“買ってもらうこと”においては何の問題も抱えていなかった。ラグジュアリー市場は重力から解き放たれ、売上高を見ればどのデザイナーも天才に見えた。しかし今、消費者が通常の消費習慣を取り戻すにつれ、業界も現実に戻りつつあり、エコノミスト(最近のファッション界で唯一重要なトレンド予測者)は、前途は荒れ模様だと報告している。現在の世界情勢は言うに及ばず、リック・オウエンスは「野蛮な時代」と呼ぶ現在の時勢に配慮し、いつもの大々的なショーではなく、自宅で最新作を披露することを選んだ。 一方、男性と服との関係は進化し続けている。「男性が女性のショッピングスタイルを真似し始めているように感じます」と話すのは、アワー レガシーのヨックム・ハリンだ。「男性たちも見せるためのアイテムに投資をするようになりました。買うのは派手な大きいバッグではなく、大きなコートかもしれませんが」と続けた。つまり、男性はますます目が肥え、センスも良くなり、買ったものを転売する(これはますます難しくなっている。あまりにモノが多すぎるのだ!)のではなく、何年も使い続けることを求めているのである。つまり、メンズファッションのデザイナーは、この成長を継続させるためにこれまで以上に自らを磨き、魅力を高める必要があるのだ。 クラシックなスタイルへの回帰を提案するデザイナーもいれば、テーラリングやアウターウェアをいかにダイナミックに新しく見せるかについて斬新なアイデアを披露した、阿部と同郷のデザイナーたちもいた。ジュンヤ ワタナベ マンはとても素晴らしく、二日酔いのために彼の午前10時のショーを見逃した編集者たちは、その週の間ずっと不平を漏らしていた。「ジャケットの新しい見せ方を提案したかった」と通訳を介して語った渡辺は、テーラードジャケットの裾にトラウザーズ、カーキ、ジーンズなどあらゆる種類のパンツをつなぎ合わせ、ミックスされた素材から驚くほどクールなオペラコートのフォルムを生み出した。パレスとのコラボレーションによる本格的なオペラケープも登場し、その背面には同ブランドのロゴ刺繍が施された(これも若い顧客にエレガンスを提案する方法のひとつだ)。 日本のアバンギャルドなメンズウェアの第一人者である山本耀司は、タバコを一服する合間に、「常に前を見ている」と語った。山本は寡黙な人物だが、80歳を迎えた彼のショーには、意図したものかわからない遊び心があった。サウンドトラックには、テイラー・スウィフトの『Lover』の自身によるスモーキーなカバーが含まれていた。山本の旧友であるヴィム・ヴェンダースがランウェイに登場し、ジネディーヌ・ジダンも会場に駆け付けた。山本のテーラリングには、過去の作品にもあったピンナップガールが背面に描かれているものもあったが、スタイリングにはロマンティックな雰囲気が漂うと同時に、彼ならではの独特なユーモアも感じさせた(タンカラーのオーバーコートには「I love Yohji, he is for sale(ヨウジを愛している。彼は売りに出されている)」の刺繍が施されていた)。「男は男であるべきです」と、彼はバックステージで語った。それは新たな形で、ということだ。 岩井良太が手がける東京のオーラリーは、ルイ・ヴィトンによるショーの直前にパリ・ファッションウィークでのランウェイデビューを飾った。ファレルによる怒濤のラグジュアリーショーの前にあって、なんと素晴らしい口直しだっただろうか。岩井は全ての生地をオリジナルで製作しているためか、オーラリーのシンプルなワードローブの定番アイテムには深みがある。しかし、私が最も心を奪われたのはさりげなくも大胆なスタイリングで、オーラリーはメンズにとってのミュウミュウに最も近い存在だと思わせた。セーターはバラクラバやスカーフになり(私を含めた多くの人たちが、この週の残りの期間に凍てつくパリで真似しようとした)、意外性がありつつも心底納得させられる色の組み合わせは、服飾学校で教えても良いほどのものだと思った。道行く人やレストランの向かいにいる見知らぬ人に、その日ずっとあなたのことを思ってもらえるような、服の中の小さな工夫に満ちたディテールについて考えさせられた。 他のデザイナーたちは、彼らの代名詞的なスタイルで不確かな時代に応えた。キコ コスタディノフのコレクションには通常、アートや古代神話からの引用が何度となく登場し、難解なことで知られているプラダのショーノートすら軽い読み物に思わせてしまう。1月20日、彼は、自身の優れた、そして常に刺激的な過去の作品を初めて引用し、初期のコレクションから根強い人気を誇る(そして他の作品同様、独創的なデザインの)ジップアップトップを復活させた。また、今回はシェニールパーカーの新バージョンとして、ゆったりとしたタートルネックが登場した。テーラードジャケットの「かなり複雑」なショルダーと、新鮮なスリムパンツのサイドにはダーツが施され、「K」を表現している。 「ロゴやパッチではなく、造形を通してブランドを確立するというアイデアで取り組んでいます」と語るコスタディノフからは、ブランドの熱狂的なファンの間で定番となるであろう、リーバイスとのコラボジーンズも発表された。一方、初のランウェイショーを行った、マリアとヨルグ・コッホ夫妻率いる雑誌兼ファッションレーベルの032cは、熱狂的な若い服好きに向け、ファッション好きならではのファッションを現実へ送り出した。ベルリンを拠点とするコッホ夫妻は、これまで何百回とこのようなショーに参加してきたが、彼ら自身によるショーではZ世代のスーパーモデルであるモナ・トゥガードやポール・ハメリンが登場し、タフな(いい意味でベルリンらしい)フライトジャケットやナイロンパンツが場を盛り上げた。 ディオール メンズとエルメスでは、キム・ジョーンズとヴェロニク・ニシャニアンの自信にあふれた仕事ぶりがそれぞれ目を引いた。両クリエイティブ・ディレクターは、売上高が依然として好調なラグジュアリー市場の最高峰を担うメゾンで手腕を発揮している。ジョーンズは、ディオールで完成させたカジュアルラグジュアリーの方程式を、ヌレエフと親交のあった叔父のコリン・ジョーンズにインスパイアされたバレエスタイルに落とし込んだ最初のルックで、すでに観衆を魅了していた。 そして、いよいよディオール メンズ初となるクチュールコレクションの登場である。京都で手作業により仕立てられたシルバートーンの着物地やクロコダイルパターンのチュニック、さらには数々のダイヤモンドジュエリーは言うまでもなく、エスカレートしていく20点以上もの壮麗なルックが披露された。出席者にとってはまさに眼福であり、どの国の王子様も来季のショッピングリストに加えたことは間違いない。一方エルメスでは、長年のキャリアを持つニシャニアンが、サテンのようなポニーヘアで仕立てられた(スキニーに近い)スリムなテーラードアイテムで存分な贅沢さを演出した。 ■形を変えた“トレンド”のあり方 今シーズンの具体的なトレンドがあるとすれば、それはインディー・スリーズの流れに乗ったスキニーパンツの復活だろう。しかしもちろん、ロエベのジョナサン・アンダーソンがショー後の囲み取材で指摘したように、ファッショントレンドはかつてのようには機能していない。「以前のファッション界では、今起こっているこのムーブメントが全てなんだ、といった感じでした」と、彼はジャーナリストたちに語った。アンダーソンは、それはもう通用しないと考えている。例えば、ルイ・ヴィトンではカウボーイ、ヴァレンティノではターコイズブルー、ルメールではボロタイが登場したが、それは西部開拓時代のリバイバルといったものではない。トレンドはもはや純粋なコンテンツに押し流されてしまったのだ。そして、アンダーソンはコンテンツのクチュリエ的な存在に最も近い。彼は「我々はインターネットに過ぎません」と続け、「見渡す限りメディアに占拠されている今、ファッションの未来や服の着こなし方というのは何を意味するのでしょうか」と問いかけた。 ルカ・グァダニーノをはじめとする最前席に座る大勢のセレブリティが、アンダーソンの答えを解読しようとして眉をひそめるのを見るのは楽しいものだった。解かれたベルトが付いたジーンズや、前をはだけたバスローブを思わせるコート、ベルトが再利用されたかのようなボウスカーフ──。若かりし頃の危ういショーン・ペンのいかがわしいインタビューをフィーチャーしたサウンドトラックという選曲となるとなおさらである。アンダーソンが自身のデザインを解読するのを聞くのはさらにおもしろかった。彼は、靴下にシューズを、パンツにソックスを、ジャケットにパンツをくっつけた 「強制的なルック」で、自由でありながら圧倒されるような、アルゴリズムに支配されたファッションの氾濫を表現していた。アンダーソンは、この混沌とした現実と向き合い、またそのために作品を生み出す名人である。「ファッションの最終的な目標は、未来を予測することです」と、彼は言う。「しかし時には、既存のものを見て、決まり事を再解釈しようと考えることもあります。トリックを駆使してね」と加えた。 ■主張するラグジュアリー 最後に、4年ぶりとなるバルマン オムのショーで、オリヴィエ・ルスタンは振り子のように揺れ続けるファッション界での生き延び方について独自の見解を示した。「クワイエット・ラグジュアリー(モノ言わぬラグジュアリー)に夢中になっている人もいますが、私たちはラグジュアリーを大声で“主張”していきたいと思っています」と、彼は語る。ルスタンが2011年にバルマンに加わって以来、年間売上は2000万ドルから3億ドルに増加したが、その間、バルマンが時代の潮流を反映したことは一度もなかった。それこそが彼の極意なのだ。「ベージュのカシミアコートとか、ベージュのタートルネックを提案することなどには関心がありません」と、彼は付け加えた。 最後のルックにこそベージュのカシミアコートは登場したが、それを着ていたのはナオミ・キャンベルであって、決して“クワイエット”なものではなかった。彼の熱烈な顧客にとって、バルマンはファッションの代名詞であり、それでしかないのだ。ルスタンは、キャンベルが他のモデルたちを率いて出迎えた際に、私がこの1週間で見た最初にして最後となったスタンディングオベーションを浴びた。彼らが着用していたハーフバックショルダーのジャケットは、ポルカドットや、ガーナのアクラを拠点に活動するアーティストのプリンス・ジャスィによる印象的なグラフィックで覆われていた。新しいバルマンの男性像について、ルスタンは「喜びにあふれ、自信があり、批判されることを恐れない。彼は自由を感じている男で、自由はとても重要なことなのです」と語った。 それは、阿部千登勢が繊細かつ本質的な成功を収めたのと同じくらい華々しく際立った瞬間だった。しかしながら、嵐が吹き荒れようとも、半年後に顧客がただ買うだけでなく夢中になって着るものが何であるかを、両デザイナーが正確に理解していることは間違いない。 From GQ.COM By Samuel Hine Translated by Masashi Nozaki