朝ドラ「虎に翼」が光を当てた戦災孤児…75年前の新聞はどう伝えたか、当時の記事から振り返る
本社 君たちはどうして食っているのかね。 安川君 クツミガキを山形屋の前でやっていますが、モトデは百円あれば十分です。一日のもうけは百十円ぐらいで、クツ墨は一日一個あれば大丈夫です。 本社 お金持だな、君は。 安川君 いや中村の小父さんの家で食べたりねたりするので、ぜんぶ渡します。そのかわりこづかいはもらえる(…と鼻をこする) 本社 野中君は? 野中君 僕はなにもない。前はクツミガキをしていたが、道具はとられちゃった。駅にいるとだれかがご飯をくれる。その時はおじぎを四、五へんするよ。今日はまだ朝から何もたべていないが、食べない日が多いのでなんでもない(…と腹をナデる) 本社 毎日どこに泊まるの。 安川君 駅にとまる。ござなんかかりて。 宮園さん 私も駅よ、今はおでんやを出たから。 本社 君たちは何がほしい。 田口君 ごはんがほしい。白米のごはんが。
空腹を訴え、駅で寝泊まりする子たちだが、全体に悲壮感が漂っていないのはなぜだろう。社会全体が飢えていたからか。ともかく戦争は終わったという開放感か。想像をかきたてる。 ■終戦から3年たっても 48年5月5日付でも児童福祉週間関連記事と併せて戦災孤児を取り上げた。 前文にはこうある。 「終戦後話題になった浮浪児もさいきんになって忘れられがちとなったが、その後の生活はどんなものか。鹿児島駅前の一クツミガキ少年の日記を紹介しよう」 主人公の少年(14)は長崎で母親を失い、「昨年十月ごろクツミガキをはじめ」たという。 紙面に掲載された「日記」から抜粋する。 四月三日 きょうは神武天皇祭でお役所や会社はお休み。ハイキングにゆく若い人たちで朝から駅前はゴッタかえしている。ボクたちはこんな日が稼ぎの日で遊びどころじゃない。トナリの吉ちゃんなど、くる時は一しょに来やがって、ないときはさっぱりなんだからとグチをこぼしているがおかげできょうの売上額は二百三十円あった。